6/24 - 6/30 eatrip soil @ Omotesando GYRE4F

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宝石研磨士・大城かん奈さんが生みだす光/Fragments of Quartz(前編)

STORY | 2023/11/16

YUKI FUJISAWAはわたしを連れだしてくれる。
外の世界へ。まだ見ぬ世界へ。
誰かの、わたしの物語へ。

長距離バスに揺られながら、そんなことを考える。

朝7:30に起き、甲府へ向かっていた。宝石研磨士・大城かん奈さんに会いに行くために。  

かん奈さんは、原石をランダムにカットしたルース(ジュエリーになる前の裸石)をつくる。ジュエリーにかかわる一部の人たちの間では「カンナカット」と呼ばれているのだと、ゆきさんがうれしそうに教えてくれた。

かん奈さんの生みだすものに惚れ込み、いつかなにかかたちにできたらという思いを抱えていたゆきさんは、「かん奈さんの石でジュエリーをつくらせてください」と数年越しで声をかけ、今日は完成したルースを見せてもらう日である。

いつもだったらまだ寝ている時間で、眠い目をこする。すると景色に呼ばれた気がした。ハッとして窓の外に目をやると、遠くにいくつも連なる山の峰が見え、そのてっぺんを新鮮そうな雪が笠になって輝いていた。山裾の陰の部分と、頂上の白さが対照的で、ゆきさんとかん奈さんが生みだした、ふたつの異なる表情の石を組み合わせたジュエリーに少し似ていると思った。

「Fragments of Quartz」を、まだ写真でしか見たことがない。けれど水晶は、山からとれる。甲府は戦国時代にはすでに水晶鉱山があった。そう考えると、二人がつくった宝石は、山や雪の、また別の命のかたちなのかもしれない——。

そんなことを夢見るように考えていたら、「伊勢一丁目」というアナウンスで我にかえる。バスに乗って3時間もすれば、いつもの朝とはうってかわって、もう甲府に着いてしまった。川をわたるとき、ゆきさん、真澄さん、わたしの3人の影が映り、「澄んでるね」と束の間立ち止まる。大城かん奈さんが働く、シミズ貴石を目指してまた歩きだす。

住宅街のなかに、白い建物が現れた。窓が多くとられた構造は、宝石を扱うという仕事ゆえの工夫だろうか。やわらかな雰囲気で迎え入れてくれた人は、芯にきらっと光る澄明な強さをもちあわせているようにうかがえた。日本で10人に満たないと言われている、手磨りの宝石研磨職人・大城かん奈さんだ。

「わたしみたいな若手を入れて数えても、知っている限り、手磨りの職人は7・8人ぐらい。上は80歳、90歳近い方もいますよ。女性はおそらくわたしだけじゃないかと思います。もしかしたら世界のどこかには、実はやっていますよ、という方もいらっしゃるかもしれないのですが」

かん奈さんは続けて、「手磨り(てずり)」について教えてくれた。「手磨り」とは言葉の通り、手で宝石をカットしていく手法で、地場産業という意味では世界でも山梨県・甲府市のみで伝わってきた技術だと言われている。

職人の道を歩みはじめて10年目となるかん奈さんが「わたしはまだひよっこ、いや、卵の殻ぐらいですね」と笑っていたけれど、50年やっている師匠も「手磨りは一生かけても追求しきれない」と常々口にしているという、途方もない技術だ。

わたしたちが宝石と聞いて思い浮かべるカットをつくりだすためには、通常「ファセッター」という補助道具が使われている。一方、手磨りの場合は手先の微細な感覚だけを頼りに石を切り、磨き、宝石に仕上げていく。 

「今回のゆきさんのジュエリーは、すべて手磨りで仕上げています。手磨りはファセッターに比べて、原石の表情を生かしやすい。もともとは研磨という工程にそこまで魅力を感じていなかったのですが、手磨りに出合って、これはやりがいがあるなと面白くなって」

原石の表情をいかす鍵となるのが、「インクルージョン」の存在だ。ジュエリーの世界では、原石に含まれている霧や塵のような内包物を、インクルージョンと呼ぶのだそう。『宝石の国』で聞いたことがある、と、軽やかに写真を撮っていた真澄さんが言う。 

「海外ではインクルージョンをユニークだと評価する向きもあるのですが、日本だと無傷で粒の大きさもかたちも揃っているものが美しいとされてきた歴史があります。なので手磨り職人にも、機械と同じようにムラなく仕上げることが求められていたところがあって。わたしたちは天然石をいかす仕事なのに、逆のことをしてしまっているジレンマがありました」

「インクルージョンがあると、一つひとつのジュエリーに違いが生まれますよね。そこがわたしは好きです」

ゆきさんがかん奈さんの言葉にすぐに反応して、言葉を返す。ニットとジュエリー、異なる手仕事に向き合いながらも、二人が思いを重ね合わせられるのは、こういう考えが共通しているからなのだなと思う。

同じ石がひとつもないからこそ、「同じようにととのえる」美しさ。
同じ石はひとつもないからこそ、「その違いをいかす」美しさ。

前者がファセッターを使ったカットだとすれば、後者が手磨りができること。どちらが良い、悪いではなく、それぞれの用途や価値、携わってきた人がいることを知ったうえで、知らなければ気づけないその違いを知るということは、物語と出合うための扉をひとつあけることなのだと思う。

「今回のルース……見せてもらっていいですか?」

待ち遠しいという言葉の代わりに、目にちかちかと光を宿したゆきさんが言う。今日は天気がよくて、工房にも太陽の光がよく入る。事務作業や応接スペースがある1階の机に並べられたルースたちは、カーテンを開けると小さなその身にこの世の光をめいっぱい集めたように一斉に輝き、その細やかな光り方に驚くほどだった。たっぷりとしたしずくのかたちは、長い時間をかけて原石や生き物が見た夢や記憶が、このルースに注ぎこまれているよう。

透明な水晶、翠がかった青色のアクアマリン、水に薔薇の花びらを溶かしたような色のローズクォーツ。「なんだかおいしそう……」というゆきさんの声が、ため息とともに工房に漏れた。

使っている石は3種類で、いずれのルースにも、クラッシュと呼ばれるひび加工が下部に入っている。クラッシュ部分に使われているのはすべて水晶だそう。アクアマリンは、もともと天然石の状態でクラッシュのようなひびが入っているため、それをいかすのに苦労したという。

もともとかん奈さんが自身の作品として発表していたのは水晶同士の組み合わせのみで、ゆきさんとの会話のなかで、「クラッシュさせた水晶とローズクォーツ」「アクアマリンと水晶」といった色石に挑戦することに。クリアな上部とクラッシュのコントラストは、人の手が入らなければ存在しない風景。両者が出会えたことが奇跡のようで、まぼろしめいた存在感がある。

「かん奈さんが水晶でつくったクラッシュクォーツのルースを見たときに、自然界に絶対にない組み合わせなのに、あるかもしれないと思ったというか。そして実際に“ここにある!”みたいな不思議さが衝撃的でした」

「これは合成水晶を使ってるんですよ。合成水晶というのは、天然の水晶を原材料としながら、機械を使って人為的に生みだされたもの。今回のゆきさんのジュエリーのシリーズでは、“ふたつのパーツを貼り合わせる”“しずくのかたちに切る”“クラッシュさせる”、という人の手をくわえた、人為的な工程が特徴的。なのでケミカルな感じ、冷たい感じがふさわしいと思いました。あと、クラッシュは合成水晶のほうがきれいに入るんですよ」

「冷たさと言いながらも、クラッシュを入れることで工程が複雑になりますし、人の手がたくさん入ってますよね」

「そう。汗水たらして、クールにやろうとしてるという(笑)。職人の手仕事というと、あたたかみだとか、ほっこりしたイメージがあると思うのですが、そこから離れたかったのかもしれない。使う人としても、職人の顔があまり浮かばないほうがいいのではないかなと思っていて。顔をださなくても、ものが語るようなものをつくりたい。ものをみて、ただものじゃないと思ってもらえるものをつくれるようにならなければ、という気持ちがあるんです」

手の仕事。わたしたちの目の前にあるあらゆるものが、誰かの手によって生みだされたものだ。よい手仕事というのは、誰かがつくっているその姿が思い浮かぶもののことだとわたしは思っていた。 

けれど、日々あまりにもたくさんのものに囲まれ、消費することに慣れさせられている社会のなかでは、つくる人の姿を自らの想像力で思い浮かべることをわたしたちはすぐに忘れてしまう。職人の顔の写真が並べられているのをみてはじめて、ああ、こういう人がつくっているんだね、とどこかあたたかな気持ちとともに納得し、その先を知ろうとすることはあまりない。

 

——けれどもそういうとき、手にこめられた心はいつもきまって愛情や真剣さや真面目さだけを表していたわけではなかったとも思う。痛みや、不安や、恐怖や、かなしみや、疲労感、そういう心が手に集められていたことのほうがじつは多かったのではないか。手で人々はこころの安定をたもとうとしてきたのではないか。つくる喜びとか、手仕事のなかにこめられた愛情とか、手の役目はそんなすばらしい、いつもきまって前向きのものだったとはかぎらない。
手は「救う」ものではないか。
(藤本和子『どこにいても、誰といても 異なる者たちとの共生』「手の役目」p163,164 筑摩書房,1996年) 

 

手仕事というものから、一面的に「ぬくもり」だとか「ほっこり」のような言葉で簡単に理解したつもりになり、安心するのではなく、その人の姿を自ら想像できるようにならなくては。泥のような鍛錬や、やりきれない日々、この言葉を胸に抱えて眠ろうと思った夜。そういうつくり手の無数の人生の場面が、目のまえにあるこの輝く石に込められているということを。

 

 

宝石研磨士・大城かん奈さんが生みだす光/Fragments of Quartz(後編) につづく

 

Words:野村由芽

Photo:石田真澄

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