ストーリー

「記憶の『先』のセーター」はじまりの記録

「記憶の『先』のセーター」はじまりの記録

小さなアトリエから旅立っていった代表作「記憶の中のセーター」たち。その物語の続きを紡いでいく、新たなプロジェクト「記憶の『先』のセーター」がはじまります。デザイナー藤澤が、プロジェクトのきっかけと、そこから描くシーンを語ります。   2011年から一点物のシリーズ「NEW VINTAGE」を続けてきて、これまで約800着のセーターを送り出してきました。「記憶の中のセーター」は、ヴィンテージのハンドニットを元に制作しています。遥か遠いアイルランドの島々で作られたアランニットを一つひとつ選び抜き、染めや箔をあしらうことで新たな光を当てる一点物です。 数年前に原美術館で行なった「1000 Memories of」の発表を終えて、私の中で「NEW VINTAGE」の第1章が完結したように感じていました。新たな作品を生み出しながらも、代名詞のような「記憶の中のセーター」という一点物たちのことを大事にしたいという気持ちが強くなっていて。7年前から始めたセーターのお直しも、販売して送り出したあとに、もう少し様子を見続けたいという思いから始めたものだったし、セーターを持って、着続けてくださっている方たちにもこの気持ちを残していきたいって思うんです。 構想を練っていく中で、「実行しなくては!」と背中を押してくれた一着があります。アラン諸島に行ったあと、2015年に制作したセーターで、実際に島で見た海や空の色をイメージして染めた一着です。 このセーターをずっと着てくださっている方からちょうど1年前に、「長く着てきたものをネットでリセールするのも違和感があるし、周りに譲れそうな人がいなくて、YUKI FUJISAWAでリペアしてまた次の人に譲ってもらうことはできますか? 誰か次の素敵な人に届いたらいいなと思って…」と問い合わせをいただきました。 このページを読んでくださっているみなさんも同じだと思いますが、大事にしていても自分の年齢や雰囲気が変わっていくにつれて、装いも変化するものだし、ずっと着てきたものでも着なくなるタイミングは訪れるものだと思います。リセールは、今多くのブランドが取り組んでいることですし、時代に沿っていると思うのですが、今〈YUKI FUJISAWA〉で行うのは、なんだか自分自身の感覚にしっくりこなくて。 これまでずっと「NEW VINTAGE」では誰かに一度手放されて流れ着いた素材に焦点をあててきたので、再び流れていくことに違和感はありません。ですが、この「記憶の中のセーター」に関しては、自分がずっと気持ちを込めて、時間をかけて続けて作ってきたものなので、新たなかたちでお戻ししたくて。このセーターと長い時間を共に過ごして、様々な記憶がこの一着に込められている。持ち主自身に、自分が着ていたことの価値や、思い出が戻ってくるようなかたちを探りたい。その思いから生まれたのが、今回の「記憶の『先』のセーター」です。 手編みのセーターの特徴として、毛糸をほどけばまた違うかたちに作り変えることができます。今回は、お預かりしたセーターの糸をほどいて、ミトンとミニセーターに編み直してお届けすることにしました。ミトンは、定番で作っているものなので、実際に日々の中で使えるものとして。ミニセーターはきゅっと記憶を小さく閉じ込める、お守りのようなものとして考えています。私は自分が作るものに対して、持ち主がそのものと共に過ごした記憶を重ねていく存在になって欲しいという思いがあります。そうして貯まった大切な毎日のきらめきが、アルバムのように、いろんなかたちになって手元に残ることができたら嬉しいなと想像していく中で、ミニセーターにたどり着きました。例えば、ランドセルも小学校を卒業して使い終わったあとに、小さなランドセルのキーホルダーに生まれ変わらせたりしますよね。そういう光景がいいなって思うんです。今回も、ほかの誰かに渡すのではなく、持っていた人にかたちを変えて戻すということに、私は面白さを感じています。 工程のお話をすると、セーターの糸は、ほどいてそのまま編むことはできません。特にヴィンテージのものは、長い間編まれた状態なので、固まったり縮んでしまったりしているので、まず編める状態に戻すところから始めます。糸を一本ずつほどいて、蒸気で蒸してのばす。くるくると縮んでいる糸をもとの状態にもどしていくイメージです。そのあと毛糸玉に巻いて、そこからやっと編み始められる。すべて手仕事で行います。 「記憶の『先』のセーター」は、私たち〈YUKI FUJISAWA〉が、どういう気持ちでものづくりをしているかを伝える機会のひとつだと思っています。相変わらず合理性もなく、面倒さも含んでいますが、それも含めて自分たちらしくありたいのです。 ブランドを始めて10年というひと区切りを迎えました。ヴィンテージに加工をあしらい仕上げていく過程で、自分自身で一着ずつ見て触れてきたので、蓄積してきたセーターの模様やパターン、デザインなど、今に即したかたちで、新しく作れるのではないか?と思い、今季は初めて職人さんと手編みのセーターを作ろうと動き始めています。 一方で、大事に着続けてくださる方のことを、自分たちのものづくりを通じて大切にできれば、気持ちよく新たなチャレンジが始められると思っています。世界にひとつしかない「NEW VINTAGE」も、今後買い付けが始まってまた新たに作ることができたら、面白くなるだろうなと思います。 「記憶の『先』のセーター」は、〈YUKI FUJISAWA〉の新しい企画に参加するような気持ちで興味を持ってくださると嬉しいです。私自身このチャレンジにどんな反響があるか、どんなセーターが手元に戻ってくるか楽しみです。着続けてくださったセーターの中にある記憶が、先に続いていってくれるよう、願いを込めて作ります。   「記憶の『先』のセーター」ご応募はこちらから     取材/文:菅原良美(akaoni)

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ニットを繋ぐひと/2021年のアランニット

ニットを繋ぐひと/2021年のアランニット

  夏が過ぎ、冷たい風が吹き、ニットの季節がやってくる。 長らくヴィンテージニットを扱ってきたYUKI FUJISWAWAは、新たな取り組みに挑戦している。2021年の秋冬に向けて発表された新作は、ヴィンテージではなく、新たに編み上げられたニットたちだ。4月20日にWEBご予約会が始まり、オーダーを受けた数をもとに、マフラーやミトン、ニット帽フーディーが編まれてゆく。いずれはセーターに挑戦するつもりで、去年からマフラーやミトンといった小物に取り組んでいる。 デザイナーの藤澤ゆきさんがデザインしたニットを量産するには、ニッターさんたちの手がいくつも必要となる。ただ、これまでヴィンテージを扱ってきたゆきさんは、量産をお願いできるほどニッターさんの知り合いがいなかった。そこでゆきさんとニッターさんたちの橋渡し役となり、生産管理の仕事に携わっているのが、かなえさんだ。 「こんな小物を作りたい」というデザイン画を受けると、かなえさんはまず、ニッターさんと相談しながら編み図を作る。そうしてサンプルを作り、量産に入る。どのアイテムを、どのニッターさんに、何個作ってもらうか。ひとりひとりと相談しながら、数を割り振ってゆく。 「普段のやりとりは、基本的に電話が多いです」とかなえさん。「まずは編み図と毛糸をお送りして、細かいところは電話で伝えたり、自分で編み方を動画にとって、それを見てもらいながら説明してます。ニッターさんの中にも、『なんでも編めます』って人もいれば、『私は鉤針の小物しかできません』って人もいるので、ひとりずつヒアリングして、出来上がったものを見ながら、誰に何個お願いするかを決めてます。皆さん生活のスタイルが違いますし、たとえば子育て中の方だとそんなにたくさんお願いするのは難しいので、コミュニケーションをとりながらお仕事をお願いしてますね」 ニッターさんにも個性があり、手編みである以上はどうしてもわずかな差が生じてくる。同じ編み図と毛糸を渡しても、少しずつ編み目の密度や細かい始末に違いが出る。それらをすべてチェックして、修正をするのも、かなえさんの役割だ。 「今年のご予約会はご好評をいただいて、去年の5倍近いオーダーをいただいたんです」と、ゆきさんが言う。「機械編みなら何点でも作れるんですけど、手編みだとどうしても時間がかかるんですね。ニッターさんとのコミュニケーションもそれだけ増えるし、それぞれの個性も出てくるんですけど、ちゃんと同じ品質に仕上げられるのは、かなえさんが全部取りまとめてチェックしてくれるからなんです」 1991年生まれのかなえさんは、幼い頃から編み物になじみがあった。冬が近づくと手芸屋さんに出かけ、お気に入りの毛糸を選んで、マフラーを編んでもらった。のどかな土地に生まれ育ったこともあり、テレビで紹介される流行りの商品を買えるお店は近くになくて、ちょっとした小物は祖母にリクエストして作ってもらうものだった。かなえさん自身も、小学生の頃からニットを編んでいたという。 「小さい頃に、こどもでも使える編み機と織り機を買ってもらって、ニットを量産してたんです。マフラーを編んだり、織り機で直線に編んだものを畳んでポシェットを作ったり。小学生が作るものだから、ちょっと不恰好なものだったんですけど、親戚のおばさんたちにプレゼントすると、喜んで使ってくれて。『ああ、喜んでもらえるんだ』って嬉しくなって、作っては配り、作っては配りを繰り返してました。そういう小物を、親戚のおじいちゃんやおばあちゃんがずっと使ってくれていて、手編みのニットって人の記憶に残るし、大切にしてもらえるものなんだってことをずっと感じてました」 高校卒業後、かなえさんは文化服装学院のニットデザイン科に進んだ。卒業後にアパレル関係の会社に勤めたかなえさんは、社会人として2年、3年と働くうちに、個人でも仕事を始めるようになる。 「最初に就職した会社が、ちょっとブラックだったんです」。かなえさんはそう振り返る。「それまでずっと、21時とかまで残業してたんですけど、残業代がつく人もいれば、つかない人もいて。そのうち馬鹿馬鹿しくなって、『もう残業するのはやめよう』と決めたんです。そうすると、今まで残業してた時間がすっぽり空くようになって、とりあえずお小遣い稼ぎにアルバイトをやってみよう、と。そこでたまたま条件に合うのがコールセンターだったんです。コールセンターの仕事は時間に融通がきくから、ダンサーの子がいたり、歌手志望の子がいたり、夢を持って働いている人たちが多くて。その人たちからの影響が私にとって大きくて、自分でも何かやらなきゃと思ったんです。ちょうどその頃に、デザイナーとして独立した友達から『手伝ってもらえないか』と連絡をもらえたりして、会社の仕事と個人で引き受ける仕事と、両立するようになりましたね」 かなえさんが社会人になった頃、手芸業界では経費節減が進められており、仕事を失うニッターさんも増え始めていた。「会社が駄目なら、自分でお仕事をお願いしよう」と思ったことも、個人で仕事を始めたきっかけだとかなえさんは振り返る。 「ニッターの仕事をしてる人って、社会に出たくないって人が多いんです。アルバイトをして働いたほうがお金にはなるんだけど、家にいて編む仕事をしたいって人が多くて。そういう人たちにお仕事をしてもらうためにも、一時期は自分で手編みのブランドを立ち上げて販売してたこともあるんです」 根底にあるのは、「編む仕事をする人たちに対する尊敬の気持ち」だとかなえさんは言う。一日のほとんどを家で過ごして、手編みでニットを編んでくれる人がいる。自分たちの世代は、おばあちゃんが手編みのマフラーを編んでいる風景に馴染みがあるけれど、もしもニッターの仕事がなくなれば、次に生まれてくる世代はそうした光景を目にすることがなくなってしまうかもしれない。その手仕事をこれ以上減らしたくないという思いから、かなえさんはニッターさんたちと仕事を重ねてきた。その積み重ねが、YUKI FUJISAWAの新作にも繋がっている。 ニッターさんとお仕事をする上で大切なのは雑談だと、かなえさんは語る。ニッターさんに電話をかけるときも、仕事の話をするだけではなく、孫の話を聞いたり、ちょっとした愚痴を聞いたりすることが多いという。 「ニッターさんは自宅でひとりで編んでらっしゃる方が多いので、定期的に電話をかけて、どうですかってコミュニケーションをとってます。家の中でずっとニットを編んでるって、すごいなと思うんです。私だったら、編むのをやめて、外に出かけたくなったりすると思うんですよね。でも、黙々と編んでくれてるニッターさんたちのおかげで、ニットが出来上がる。だからせめて、電話で雑談をすることで、たまには気分転換をしてもらおう、と。今は直接会うことは難しくなってますけど、電話でコミュニケーションをとって、また頑張ってもらえたらと思ってます」 雑談の大切さに気づいたのも、かなえさんがコールセンターで電話をとっていたときだった。 問い合わせの電話や、あるいはクレームの電話がかかってきたときでも、気づけば雑談になっていることが多かった。そんな電話を数多く受けているうちに、取るに足らないような言葉を誰かと交わすことの大切さに、かなえさんは気づいたという。 「コロナの影響で、人となかなか会えなくなって、そうやって誰かと雑談することも少なくなったと思うんです。ニッターさんとお電話してると、『ずっと家にこもりきりで、気持ちが沈んでたけど、仕事があるおかげで「やらなきゃ!」って気持ちになれたし、仕事が活力になってよかったわ』と言ってもらえたことがあって。そういう話を聞くと、この仕事をやっててよかったなと思います」誰かに語るほどではないけれど、ちょっと嬉しかったこと。ハッとしたこと。ふと気になったこと。くさくさしたこと。そんな一粒一粒の感情を抱えながら編み上げられたニットが、注文してくれたひとりひとりの手元に届く日を待ちながら、箱の中で眠っている。   Words by 橋本倫史

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Aran knit mittens&scarf/2020

Aran knit mittens&scarf/2020

ひかりが射し込む部屋に、真っ白な毛並みの猫が佇んでいる。猫の名前は純。保護猫として預かったのは6年前のこと。飼い主が見つかるまででいいから預かって欲しいと、同じマンションに暮らす人に相談を受けたのだ。 「一度抱いちゃったら、もう駄目ですね。それからずっとうちにいます」。長谷川千代子さんはそう教えてくれた。「編み物の邪魔はしないんだけど、ぴょこっと毛糸が出たところがあると、飛びついてくることもあるんです」 今年発表されたYUKI FUJISAWAの新作に、アラン模様のミトンとマフラーがある。千代子さんはこのミトンとマフラーを編んだニッターのひとりだ。デザイナーである藤澤ゆきさんが、アラン諸島で出会ったニットから「こんな柄の作品に仕上げたい」と提案したデザインを「編み図」と呼ばれる設計図に起こしてゆくときに、編み方を検証してくれたのも千代子さんだ。 「この編み方はすごく特殊で、私は見たことがなかったんです」。千代子さんはまつぼっくりのような柄を指しながら、そう教えてくれた。「編み方自体は難しくないんだけど、構造がよくわからなくて、いろいろ調べてみてもこの編み方は出てこなくて。なんてことない模様だけど、日本では誰もこれを考えたことがなかったんですよね」 ニットの作品は毛糸で編まれたものだから、毛糸を解けば構造を解明することができる。でも、ヴィンテージのニットを解くわけにもいかず、頭を悩ませ続けたという。 「編み物って、基本的には一本の糸なんです。糸の動きは、表は右から左へ、裏は左から右って動いていくんですね。でも、ここは糸の動きがなんか違うんです。ここはどうやったらいいかわからなくて、頭の中でずっと考えてました。まったく新しいものを考えることは私にはできないけど、誰かが編んだことがあるものは絶対私にもできるはずだっていう確信があって、今回もどうにか解明できたんです。そうやって頭を使って考えるのは楽しかったですよ」 千代子さんは1950年、山口県に生まれた。海にほど近い小さな町で育った千代子さんは、漁師の妻である女性たちが魚を行商して歩きながら、空き時間に編み物をする姿を目にしていた。初めて自分のために手編みのニットを仕立ててもらったのは、中学生のときだ。 「学校のセーラー服の上に羽織るカーディガンを作ってもらおうと、母に連れられて仕立ててもらいに行ったんです。そのカーディガンのシルエットがすごくきれいで、大量生産のものと違って、体にぴったりフィットして、感動したんです。それに、私は農家の長女だから、『日が昇っているあいだは、とにかく外に出て農作業を手伝いなさい』とずっと言われていたので、おひさまが出てるのに家の中で仕事ができるのもすごく羨ましくて、そこで今の仕事に興味が湧いたんです」 その時代はまだ、女性は男性の三歩後ろを歩くという考え方が根強かったけれど、「私はそういうのが無理だったんです」と千代子さんは笑う。維新の志士を輩出した土地柄もあり、小学校低学年の頃から先生に明治維新のことを聞かされていたけれど、「男の人が羨ましい」と千代子さんは感じていたという。明治維新の物語に登場するのは男性ばかりで、「男の人は好きなことをやれてるのに、どうして私は男に生まれなかったんだろう」と。誰かに食べさせてもらって生きていくのではなく、ひとりで生きていきたい――そんな思いに駆られていたところに、千代子さんは編み物と出会った。 「あの頃は教室に通うお金がもったいなくて、全部本で勉強したんです。ニッターの仕事をするようになったのは、こどもがもう小学校に入ってたから、40歳ぐらいのときですね。あるとき、ユザワヤさんがニッターを募集してたんです。私はお免状も何も持ってなかったし、人から習ったこともなかったんですけど、『作品を編めればいいです』というから、自分が編んだものを持って面接に行って。そうしたら『じゃあ、お願いします』ということで、すぐに仕事をもらったんです」 手渡された編み図を前に、千代子さんは途方に暮れた。独学で編み物を学んだ千代子さんは、まだ右も左もわからなかったのだ。でも、「私には編めません」と根をあげるのではなく、持っている本をすべて引っ張り出し、作品を完成させた。それ以来、依頼のあった仕事はとにかく引き受けて、ニットを編んできた。 「95年からは内藤商事(世界の毛糸を扱う老舗の卸商社)の仕事を引き受けるようになったんですけど、どんな作品でも『できません』と言ったことは一度もないです。自分が着るものを編むのだと、好きな色や好きなデザインが決まってきますよね。でも、メーカーの仕事は毎回新製品の糸に触れられるし、自分が普段編まない模様も編めるし、それがすごく楽しくて。だから私は、仕事をやりながら編み物を覚えたんです。全部自力で覚えてきたから、今回の模様も編めたんだと思います」 今年の新作として販売されるアランニット小物のうち、試作品をはじめ、白い毛糸で編まれたマフラーはすべて千代子さんが編んだものだ。 完成したミトンを手に取ると、「この裏側もきれいなんです」と、千代子さんはミトンをひっくり返す。そこには樹のような可愛らしい模様ができていた。わたしたちが普段見えないところにも、こまやかな仕事があふれている。 千代子さんは今、朝に目を覚ましてから眠りにつくまで、ほとんどの時間を編み物をしながら過ごしている。椅子に座ると血が下がってしまうので、座椅子に座って編み物をする。この部屋で、陽のひかりを浴びながら編まれたニットが、誰かの手許に送られてゆく。 Words by 橋本倫史 ───────── こちらのアランニット小物の受注は2020年5月に終了いたしました。YUKI FUJISAWAではまた来年も千代子さんたちとニットを作る予定です。どうぞおたのしみにお待ちください。

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アランニット制作日記 3月対談/女優・青柳いづみ

アランニット制作日記 3月対談/女優・青柳いづみ

  今月で最終回を迎える、「アランニット制作日記」。その締めくくりに、「記憶の中のセーター」を実際に着てきた人に話を聞かせてもらうことにする。ふたりめにして、最後に登場してもらうのは、女優の青柳いづみさん(左)だ。 藤澤 最終回はニットがいいかなと思って、今日はアラン諸島で買ったニットを着てきました。 青柳 アラン諸島って、外国の? 藤澤 そう。アラン諸島に行ったときに買ったやつ。 青柳 これは箔押ししないの? 藤澤 しないの。資料として買ったのでほとんど着てないんですけど、今日久しぶりに着ました。 青柳いづみさんは、マームとジプシーやチェルフィッチュに出演している女優だ。ゆきさんと青柳さんが初めて接したのは、2016年に東京芸術劇場・プレイハウスで上演された『ロミオとジュリエット』(作・演出=藤田貴大)だ。青柳さんがロミオ役を演じたこの舞台は、大森伃佑子さんが衣装を手掛けていた。その衣装に箔のデザイン装飾を施したのがYUKI FUJISAWAだった。 藤田貴大(マームとジプシー)演出『ロミオとジュリエット』/2016年 青柳 最初に会ったのは『ロミジュリ』のときだけど、そのときはそんなにしゃべってないよね? 藤澤 そうだったね。大森さんと芸劇で待ち合わせたとき、エスカレーターの上まで香菜さん(マームとジプシーで制作を担当する林香菜さん)が迎えにきてくれたのをおぼえてる。「どうもどうも!」みたいな感じで、すごいフランクな人だと思ってびっくりしたのを憶えてる。 青柳 それで、劇場で会ったのかな? 藤澤 地下にある稽古場みたいなところに案内してもらって。その日は衣装合わせの日で、サイズを測る日だったかも。 青柳 じゃあ、稽古が始まったばかりのときだ。しゃべってないね。 藤澤 うん。そのときは「皆さん、こんにちは」って感じだったし、その後も『ロミジュリ』のときはしゃべってないかも。 青柳 うん、しゃべってないと思う。ゆきさん、第一印象怖いし。 藤澤 うそ、私が? 青柳 すごい年上だと思ってたから。先輩って感じだった。目つきがね、すごい先輩ぽいよ。あとから中高運動部だったと聞いて納得したもん。 『ロミオとジュリエット』のときはほとんど言葉を交わさなかったふたりに、ふたたび接点が生まれるのは2018年のこと。川上未映子さんの詩を藤田貴大さんが演出し、青柳いづみさんの一人芝居で上演する『みえるわ』という作品が発表されるとき、青柳さんは詩の一篇ごとに異なるデザイナーに衣装を依頼した。そのひとりがゆきさんだった。 川上未映子×マームとジプシー『みえるわ』より『治療、家の名はコスモス』/2018年 青柳 ちゃんと話をしたのは、『みえるわ』の衣装をお願いして、「一度会ってお話ししましょうか」っていうのが最初なのかな。 藤澤 そうかもね。それまでは衣装の若林(佐知子)さんが取りもってくれたから、若林さんとは連絡とってたけど、いづみちゃんの連絡先は知らなかったもんね。 青柳 先輩の連絡先は自分から聞けないからね。『みえるわ』のときは、自分が着る衣装を自分で決めて、自分で依頼に行くスタイルでした。そこで上演する予定の詩からイメージを膨らませていくなかで、「治療、家の名はコスモス」という詩はゆきさんにしかできないと思ったんです。 藤澤 『ロミジュリ』のときは大森さんがメインだったから、直接依頼してもらえて嬉しかったな。あんまりしゃべる機会はなかったけど、『ロミジュリ』で藤田君の作品をはじめて観てすごく感動したから、「なんで今まで知らなかったんだろう?」って思ったんだよね。名前は聞いてたけど、演劇をほとんど観たことがなくて、劇場に足を運ぶことがほぼほぼなかったから。 青柳 それまで? 藤澤 そう。「知らなくてもったいないことをした」ってぐらい衝撃で、だからもう一回連絡をもらえて嬉しかった。なんだろう、演劇って3次元なんだってことに感動したの。私は布を扱っていて、布は立体にもなるけどかぎりなく平面で、0.何ミリの厚みにあるテクスチャーの表現なんです。でも、演劇は人間が限られた空間におさまっているんだけど、その空間以上の広がりがあるじゃないですか。しかもあんなにシンプルな舞台装置から広がっていくのがすごくて、見えない世界が彩られていく様子にびっくりしたんです。 『みえるわ』では、7篇の詩が上演された。つまり、衣装を手掛けるデザイナーも7人いたのだが、そのひとりひとりに、青柳さんみずから依頼をしていた。そこには「この詩の衣装は、この人に作ってもらわなければ!」という強い信念のようなものがこもっていた。 川上未映子×マームとジプシー『みえるわ』より『治療、家の名はコスモス』/2018年 青柳 たしかに、ありましたね。謎の信念。...

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アランニット制作日記 3月対談/写真家・木村和平

アランニット制作日記 3月対談/写真家・木村和平

  昨年7月から始まった「アランニット制作日記」は、今月で最終回を迎える。その締めくくりに、「記憶の中のセーター」を実際に着てきた人に話を聞かせてもらうことにする。ひとりめは、写真家の木村和平さん。春の日、吉祥寺で待ち合わせて、話を伺った。  2019-2020の「記憶の中のセーター」のビジュアル撮影をしてくれた木村和平さんは、ゆきさんと古い付き合いだ。ゆきさんは和平さんのことを「かずへりん」と呼ぶ。和平さんが最初にゆきさんの作品に触れたのは、2012年にデザインフェスタギャラリー原宿で開催された『白昼夢』というグループ展だった。 木村 今日はその『白昼夢』でオーダーしたストールを持ってきたんです。 藤澤 すごい、まだ持ってくれてるの? 手染めのストール。 木村 初めて『白昼夢』でゆきさんに会ったとき、このストールをオーダーしました。 藤澤 懐かしい。これはもう今はやってない染め方で、グラデーション染みたいに白から1色に染めるんじゃなくて、いろんなとこにちょっとずつ色があって。 木村 改めて見ると、今と全然違うなと思った。このムラがすごく良い。これが最初にゲットしたゆきさんの作品でした。その頃はオーロラのスカートとかシュシュとかを作ってましたよね? 藤澤 そう。その頃はまだ古着じゃなくて、真っ白な生地を買ってきて、それを染めてました。  『白昼夢』というグループ展が開催された頃、ゆきさんはまだ「YUKI FUJISWAWA」を立ち上げる前で、「ハートの、」という名前で活動していた。一方の木村和平さんも、当時はまだ10代だった。お互いの存在は、当時どんなふうに映っていたのだろう――? 木村 その頃はとにかく服にすべてを捧げていた時期で、服を買うためにバイトしてたんです(笑)。最初は古着から服を好きになったんだけど、だんだんブランドも知るようになっていくなかで、自分がいいなと思うのは手作りの要素があるブランドで。手作業が入っていることにすごく執着してた時期もあるんだけど、ゆきさんの作品はそこにぴたっとくる感じだった。 藤澤 男性が買ってくれたのは、かずへりんが初めてだったかも。今はTシャツやニットを作っていて、ユニセックスで提案をしてるけど、前は女の子が直感で「好き!」って思ってくれるような色調が多かったんです。だから、男の人の琴線に触れたことが嬉しかったので、かずへりんのことは印象に残っていました。あの頃は格好がもっと派手だったよね? 木村 その頃って、レディースのでかい服をずっと買ってたんです。小さい頃から、男の子っぽいものより、女の子っぽいと言われるものが好きだったんですけど、ファッションの入りもそういう感じで、いわゆるバキバキなメンズ服より、しなやかで可愛らしいものが好きだったっていう。僕の中では「これは女の子っぽいからやめとこう」って感覚がなかったから、ゆきさんの作ったものを見てシンプルに「これはすごい!」と思ったんですよね。  「手作業が入っていることにすごく執着していた」と和平さんは言う。工場で大量生産されたものより、ひとつひとつ手作りされたものの方を好ましく感じる――それは多くの人が感じていることだろう。ただ、そこに「執着していた」とまで語る背景には、どんな感覚があるのだろう? 木村 僕は手作りのものだけをまとっているわけじゃないし、ユニクロのTシャツや下着も着るけど、手作りのものにはあきらかに念が入ってるんですよ。それはその人が描いた絵を買うのと同じことで、その服を見たらゆきさんの顔が浮かぶような、そういう精神レベルの良さ。情と念と手汗が入り込んでいるものをすごく信用していたから、「生産者の顔が見える野菜しか食べたくない」みたいなことと同じように、どこの誰が作っているかわからないものは嫌だっていうモードが、10代の頃は特に強かったんです。 藤澤 話を聞いていて、「私もおなじ感覚だった」って思い出しました。だから手作業にこだわっていたし、自分がその場にいなくても、念みたいなものは物を通じて伝わると思っていて。今は「こうすると着やすくなる」とか「こうすれば耐久性が増す」とか、購入してくれた人に渡ったあとのことも考えられるようになったけど、そのときはもっと作品に近くて、作業に祈りを込めるみたいな感覚でした。それを誰かが身にまとったとき、勇気が出るとか力が湧くとか、そういうことが起こるといいなって信じてやってました。 木村 それを、そう、信じ切っていたんです。今もそういう気持ちはあるけど、当時のほうが「作り手の気持ちを着る」みたいな感覚が強かったですね。  ゆきさんは2014年に「YUKI FUJISAWA」としてブランド名を改め、“記憶の中のセーター”を制作し始める。最初のうちはお店に卸して販売していたが、初めて展示会を開催したのは2015年のことだった。 木村 最初にストールを買ってから、インターネットでゆきさんの活動はなんとなく見てたんです。ニットを作るようになったと知ってから、ずっと欲しいと思ってたんだけど、ほんとにぐさっとくるまでは買わないでおこうみたいな気持ちがあったんです。 藤澤 2015年に最初の展示会をやったときに、かずへりんが来てくれて。2015年のニットは、2014年にアラン諸島に行ったあとだったから、海の色とかひかりっていうものを意識して、オパール色のニットを作ったんですよね。それがたぶんかずへりんに刺さったんじゃないかな。 木村 うんうん。あの展示、めっちゃ憶えてる。 2015年の展示会の様子 / photo by Hyota Nakamura 藤澤 初めての展示会だから、まずは自分の思うように場を作ってみようと、中村俵太さんという空間デザイナーさんに依頼して空間を作ってもらって。展示台としてセメントで塗り固めた石を作ってもらって、それをアラン諸島の石に見立てたんです。...

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アランニット制作日記 2月/お洗濯のこと

アランニット制作日記 2月/お洗濯のこと

今年は閏年で、2月がいつもより1日長くなる。2月が終わりを迎える日、ニットのお手入れについて教わるべく、ゆきさんの自宅を訪ねた。 「ニットをどう洗っていいか、悩んでる人は多いんじゃないかと思うんです」。出迎えてくれたゆきさんは、お茶をグラスに注ぎながらそう話してくれた。「でも、全然お伝えできるタイミングがなかったから、この機会に、ニットの洗い方をお知らせできたらと思います」 クローゼットから取り出したのは、2014-15年に制作した“記憶の中のセーター”だ。前回の日記で触れた、アラン諸島で受け取ったイメージをもとに作った一着である。 「まず、ぬるま湯を溜めます」。温度を手で確かめながら、洗面台にお湯を張る。洗面台が狭ければ、浴槽でもタライでも、どこでも構わない。問題なのは温度だ。 「温度変化があると、ウールにストレスがかかるので、なるべく負荷がかからないように。熱湯や冷水はダメです。お風呂の温度でも熱過ぎるから、温水プールぐらいの温度が目安かな」 お湯を張り終えたところで、洗剤を手に取ると、「ここです!」とゆきさんが声をあげる。「洗剤を入れるとき、ニットの上にかけるのは、ダメです! 直接かけちゃうと、そこだけ色が抜けたり、シミになってしまう原因になるので、ニットをつける前に、洗剤をぬるま湯に混ぜてください」 ニットを洗うには、エマールやアクロンなど、中性洗剤を使う。洗剤を溶かし終えると、大物用の洗濯ネットを取り出し、裏返したニットを洗濯ネットに入れてゆく。ウールが擦れると、毛羽がくっつき、フェルトになってしまう。手洗いといえど、なるべく摩擦が起きないように、万全を期して洗濯ネットを利用するのがおすすめだという。 半分のサイズに畳んで、洗濯ネットに入れる。そうしてぬるま湯にひたすと、手で優しく押し洗いする。「押し洗い」と言っても、押さえつけるように強く押すのではなく、しずかに気泡が浮かんでくるように、手のひらでそっと押す。その様子を眺めていると、動物を洗っているようにも見えてくる。 「たしかにそうですね、動物を洗うくらいの気持ちで、優しくしてあげてください」とゆきさん。「ウールももともと動物の毛だから、お湯も一定の温度でお願いしたいです。ウールは水を弾くので、最初はやさしく押して、沈ませる感じですね」 手際を見ていると、「洗う」というより、ゆっくりぬるま湯に沈ませるくらいの感覚だ。そっとニットを押すと、気泡が出てくる。こうして気泡が移動しているだけで、水流が生まれており、洗剤で繊維を洗えているのだという。 「“記憶の中のセーター”のように、後染めをした製品はどうしても染料が流れ出るので、あんまり長くつけ過ぎないほうがよいと思います」 全体をひとしきり押すと、お湯がピンク色に染まってゆく。「洗剤を使うと、どうしてもこうした余剰な染料が出てきます。他の服を一緒に洗うと色が移ってしまうから、かならず単体洗いをしてください」とゆきさんは言う。 「特に最近のアランニットのシリーズは2回染めているので、染料も2倍なんです。なので、洗い過ぎると色落ちしちゃうので、1分から2分くらい軽く押し洗いしたら、水を切ります」 押し洗いを始めて1分半ほどで、ゆきさんは手を止めて、洗面台の栓を抜く。 ニットの洗濯は、時間との勝負だ。洗濯機に慣れてしまっていると、つい「これで洗えているのだろうか?」と不安になってしまうけれど、ニットにストレスを与えないように手早く、しかし丁寧に洗うのがコツだ。 洗い終えると、次はすすぎだ。上手にすすぐために、まずは手短に脱水するのがおすすめだとゆきさんは教えてくれた。洗濯機に入れて、脱水モードにしてスタートボタンを押す。洗濯槽が強く回転し始めて、10秒弱で停止ボタンを押す。脱水というよりも、軽く水を切る程度。 そのあいだに、ふたたび洗面台にぬるま湯を張っておき、ここでもニットに負荷がかからないように、静かにニットをぬるま湯になじませる。 さっきに比べると、洗剤の泡があまり目立たなくなり、染料もあまり流れでなくなった。1分ちょっと押し洗いをすると、再び脱水する。これを何度か繰り返す。ここで注意が必要なのは、何を目安にすすぎを完了させるか、だ。 「洗剤の泡立ちがなくなるまですすいでください。これは薄い染めなので、すすいでいるうちに色が出なくなってきましたよね。でも、色が濃いニットだと、色が出続けますが気にしないでください。それよりも、洗剤の泡が立っていないかどうか。すすぎ残しがあると、変色の原因になるから、しっかりすすいで欲しいです」 しっかりと、でも、繊細に。すすぎを終えると、洗面台の栓を抜く。やさしく、やさしく。そうつぶやきながら、ゆきさんはニットを手のひらで軽く押して、水を切ってゆく。   寒い冬を凌ぐためには、ニットは手放せないアイテムだ。でも、セーターやカーディガンは、肌に直接触れないこともあり、「洗濯する」を意識せずに済ませてしまいがちだ。 「全く洗わずに着てる方もいると思うのですが…こまめにお手入れした方が長持ちすると思いますよ。秋冬物は色も濃いし汚れが目立たないのですが、花粉やホコリが溜まったり襟や袖に皮脂が付着したままにすると、生地の劣化の原因になるので、定期的なお手入れをおすすめします」 特に“記憶の中のセーター”は箔が押されており、皮脂に触れると箔が酸化してしまうので、洗わなくとも汗をかきやすい箇所を、濡らして固く絞ったタオルで撫でておくだけでも少し効果があるという。そして、クリーニングに出すよりも、自分で手洗いがおすすめだとゆきさんは語る。 「普通のニットの製品ならいいんですけど、ご自身での手洗いをおすすめします。というのは、クリーニング屋さんによって洗濯方法に差があり『手洗い』と表記していても、洗濯機の手洗いコースで洗ってるクリーニング屋さんもあるので。どうしてもクリーニング屋さんに出す場合はドライコースで相談してみてください」 普通のニットと異なり、“記憶の中のセーター”には箔が押されている。箔というのは、どうしたって経年変化するものだ。箔の変化を楽しんでもらうために――それが手洗いを推奨する理由だ。 左:お直し前/右:お直し後。2014-15年のシリーズ。お客さまからお預かりして4年の時を経てリペアしました 「誰かが洗ってくれたときに箔が落ちたら、どうしても『壊れた!』って悲しい気持ちになると思うんです。そうではなく、自分の手で育てていく楽しみとして、面倒だけど手洗いしてもらえたらなと思います。もし箔が擦れてきてもお直しできますし、追加で箔を足すこともできるから、心配せずに洗ってください。形あるのもは必ず変わっていきます。その変化をご自身の手で前向きに受け取ってもらえたらいいなと、いつも思います」 さて、残るは脱水だ。洗濯ネットの中で、ニットが少しよれているのであれば、やさしく形を整える。そうして洗濯機に入れて、脱水モードで回転させる。 「うちの洗濯機はドラム式なので、強いスピードでまわり始めて、30秒ぐらいしたら止めてます。縦型の洗濯機だと、遠心力が強いから、もうちょっと短いほうがいいかもしれないですね」...

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アランニット制作日記 1月/アランニットが生まれた島のこと

アランニット制作日記 1月/アランニットが生まれた島のこと

  YUKI FUJISAWAの“記憶の中のセーター”は、ヴィンテージのアランニットに染めと箔を施し、あらたなひかりをあてる。アランニットの「アラン」とは、小さな島々につけられた名だ。ゆきさんがアイルランドの西岸に浮かぶアラン諸島を訪れたのは、2014年の冬のことだった。 「その頃にはもう、アランニットを扱うようになって3年近く経っていたんですけど、このニットを見ているだけでは知り得ないことを知りたくなったんです。どんなところで、どんな人が編んでいたのか、って。自分は手で作っているからこそ、憶測で作るのは絶対よくないと思っているから、アラン諸島に行って確かめようと思ったんです」 ゆきさんが扱うニットも、誰かの手仕事で編まれたものだ。そこに染めや箔を施す過程も手で行っているからこそ、手触りを知りたかったのだとゆきさんは振り返る。 「私はなかなか人に仕事をアウトソーシングできないんですけど、それは人を信用してないってことではなくて、現場にヒントがあったり発見があったりすると思っているんですよね。アラン諸島に行くことで、自分が今やっていること以外のことがわかるんじゃないかと思って、思い切ってアラン諸島に行ってみたんです」 成田空港からドバイを経由し、にたどり着く頃には20時間が経過していた。ゆきさんはまず、アラン諸島に渡るまえに、港町のゴールウェイにあるニットのお店に足を運んだ。 「そこは『オモーリャ(O’Maille)』というアランニット界では古くからある有名なお店で、そこのおばあちゃん店主のanneさんはアランニットの本にもよく出てくる方なんです。その方はアラン諸島のニッターさん――ニットを編む人をそう呼ぶんですけど――を束ねている方でもあるんですね。そこに私は“記憶の中のセーター”を何着か持って行って、『私はこういうものを作っているんだけど、実際にニットを編んでる人に会いたいと思ってきたんです』と相談したんです」 ゆきさんはアイルランドにつてがあったわけではなく、飛行機の中では不安に駆られていた。イギリスに短期留学していたことはあるけれど、しばらく使わないうちに、英語もあまりしゃべれなくなっているような気がした。「ニットを編んでる人に会えたらいいな」と淡い期待を抱きつつ訪れた「オモーリャ」で、店主はゆきさんを温かく出迎えてくれた。 「私が着ている記憶の中のセーターを見て、おばあちゃん店主の方がすごく喜んでくれたんです。店の地下からいろんなニットを出してくれて、『これは何とかさんが編んだやつ』、『これは何年ごろに作られたやつ』って、ひとつひとつ親切に教えてくれました。それだけじゃなくて、電話番号と名前を書いたメモをくれて、『まずはこの人とこの人に会いに行くといいよ』と話してくれたんです」 メモを手に、ロザヴィール港からアラン諸島を目指す。40分ほどでたどり着いたのは、アラン諸島のひとつ・イニッシュモア島だ。夏には観光客も訪れるが、冬は自然環境が厳しく、ほかに旅行者の姿は見かけなかった。 「波がごおごおで、風もすごくて、ほんとに寒かったです」とゆきさんは振り返る。 「島には風を遮るものがないから、風除けのための石があるんです。ある文献によると、島は岩盤に覆われて菜園をするための土がなかったから、ハンマーで岩を砕いて藻を混ぜて、野菜を育てるための土を作ったそうです。その大事な土が風で飛ばされないよう、土地を固定するために石を手作業で積み上げて。その石垣が、海沿いにずーっと続いてるんです。その厳しい風景はこの島ならではと思いましたね」 アラン諸島に向かう途中に、印象深い出会いがあった。ゆきさんの“記憶の中のセーター”を見て、フェリーの中でいきなり話しかけてくれた女性がいたのだ。 「このおばあちゃんはファンキーな髪型をしていて、すごく面白い人でした。私が緑のグラデーション染をしたアランニットを着ているのを見て、『そのグラデーション、いいわね』って話しかけてくれたんです。『私もお店をやってるから、あとで遊びにきて』って誘われて。そのお店にはその人が編んだアランニットのワインカバーや、タペストリーも置いてありました。『私もそういう染めをやってみたい』っていうから、ちょっと手伝いながら一緒に染めました。驚いたのは、『よし、乾かすぞ』と、庭にある草木の上へ放り投げて干していて。わたしが思ってた物づくりのルールなんて一切無く、自由で豪快。ものを作ることってこんなに自由でいいんだよなぁと思わせてくれて、すごく面白かったですね」 ゆきさんは「オモーリャ」で教えてもらったメモを頼りに、自転車で3つのアラン諸島をかけまわった。人から人へと繋がり、さまざまなニッターと出会うことができたという。ゆきさんが撮影した写真を見せてもらうと、部屋の片隅でニットを編む女性の姿があった。この厳しい自然環境の中で、何着ものニットが編まれてきたのだろう。 アランニットのルーツを辿れば、漁師たちにたどり着く。イギリスとフランスのあいだにあるガンジー島では、漁師たちが寒さを凌ぐために、それぞれの家庭でセーターが編まれてきた。このガンジーセーターが海を超えて広まり、アラン諸島に伝わったのはおよそ100年前のことだ。そのガンジーセーターがアランニットという独自の文化を生み出すまでには、アイルランドの歴史が大きく影を落としている。 アイルランドは、長年にわたりイングランドの統治下に置かれてきた。人びとは貧しい生活を余儀なくされ、新天地を求めてアイルランドを出た。多くの移民が目指したのは、アメリカ東海岸の港町・ボストンだった。そこにはヨーロッパ各地から移民が移り住んでいて、そこでアイルランドには存在しなかった編物の技法に触れた人たちが、それを郷里に持ち帰ったのだ。 港から港へ、人と物とが往来するなかで生み出されたのがアランニットだった。その成り立ちを知れば知るほど、ゆきさんが“記憶の中のセーター”でアランニットを扱っているのは必然であるように思えてくる。ゆきさんは、海の向こうで何十年前の誰かが着ていたニットに手を施し、あたらしい衣服に仕立てて、次の誰かに手渡してゆく。 アランニットも、海の向こうから渡ってきたガンジーセーターと編物の技法を用いて、白く輝くニットとして生み出されたものだ。 「アランニットの模様はケーブル柄以外にもハニカムやジグザグ、木の模様に見立てたものなど様々な種類があります。オリジナルで考えた模様を、母から娘へと受け継いでいくその家独自の模様も存在しているそうです。厳しくも美しい自然だけに囲まれた離島の人々の営みを支え、生活の中で繋がっていくものとして、アランニットがある。そこに魅力を感じているのだとアラン諸島に足を運んであらためて感じました」 アラン諸島を訪れたことで、ゆきさんの中にはあたらしいアイディアが浮かんだ。そこで目にした厳しい気候の色、石の風合いや波に当たる光などを織り込めないかと生み出されたのが、玉虫染のニットだった。旅の記憶を重ねながら、“記憶の中のセーター”は作られてゆく。   words by 橋本倫史

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アランニット制作日記 12月/ニットのお直し

アランニット制作日記 12月/ニットのお直し

  「冬型の気圧配置」と耳にするたび、どこか懐かしい気持ちになる。その日はテレビから「冬型の気圧配置」という言葉が流れてきて、日本海側では大雪となると報じられていた。いよいよ冬が到来した師走のある日、ゆきさんはニットのお直しに取り掛かろうとしていた。 YUKI FUJISAWAでは、お直しの依頼を受け付けている。ウェブサイトには「Repair」の項目があり、申し込みフォームから依頼が可能だ。冬が近づいてくると、お直しの依頼が増えるのだという。 「お直しを始めたきっかけは、お客様からの要望なんです。最初はニットを卸したお店を通して連絡をいただいてたんですけど、ウェブから直接連絡をいただくようになって、フォーマットを作ったのが2015年なんです。形あるものはいつか壊れますけど、箔という素材も経年変化が必ず起こるので、箔のお直しを始めたんです」 ゆきさんは、これまで制作してきた「記憶の中のセーター」の写真を残している。依頼があると、お客様に購入時期と現在の写真を送ってもらい、販売したときの状態と照らし合わせ、リペアに取りかかる。 「お直しっていうと、元通りに戻すって印象が強いと思うんです。最初は私も、元と同じ色の箔でお直ししてたんですけど、お客さまのこれまでの思い出に重ねて、また新たなデザインに生まれ変わらせる方がより幸せだなと。なので今は『好きな色の箔を選べます』とお伝えしてます。そこから『じゃあ何色にしよう?』って悩まれる方もいますけど、『ゆきさんにお任せで、素敵に仕上げてください』とオーダーされる方も多いですね」 「お任せで」と依頼されたら、ゆきさんはどうやって箔の色を決めるのだろう? 「たとえばこのニットは、ピンクの染と水色の染を掛け合わせたオパール染めというテクニックを用いてます。これを『青い箔にしてやろう!』みたいな強引な感じじゃなくて、そのものが持つ声や佇まいにリンクさせていきます。このニットを作ったときにはまだブロンズの箔を持ってなかったんですけど、ピンクの染めの柔らかさと相性が良いと思い、『ブロンズ箔はいかがですか?』と提案したんです。このニットの持ち主さんにもお会いしたことがあるのですが、ブロンズのあたたかみと白銀の爽やかさが、ご本人の情熱的で優しいお人柄にも似合うかなと」 2015年のニット。右がお直し後の写真。手首にブロンズ箔を追加し、首元も白銀を重ねてリペアしている。 ヴィンテージ素材を扱う「記憶の中のセーター」は、かつて誰かが着ていたものであり、そこには誰かの記憶が詰まっている。でも、こうしてお直しを重ねていくことで、新たな記憶が何層にも重なっていく。ゆきさんの作品と出会うまで、ニットの寿命は数年だと思い込んでいたけれど、大事に着れば何十年と着ていられるものだ。 「よく言われるのは、靴と同じで、1回着たら2、3日休ませることで。あとはお手入れですね。ホコリや皮脂などがついて、時間が経つと酸化したりダメージになってしまうんです。洋服を長持ちさせるには、休ませつつ定期的にお手入れをする。馬毛や猪毛の洋服用ブラシでブラッシングをすると、埃や花粉を取り除くだけでなく、毛玉予防になるんですよね。最近はアトリエショップもありましたし、作った服を着てくださっている方に会う機会が多いんですけど、どうしたらこんなに綺麗に着られるんですかって驚くこともあります。大事にしてもらってるんだね、よかったね、とその服に話しかけたくなります」 この日、ゆきさんが着ていたニットも、お父さんが輸入の仕事をしていた頃に海外で買い付けてきた「CARBERY」というアイルランドのハンドニットで、35年以上前のものだという。ウールの手編みのニットは、大切に着ることで、何十年後かに誰かに手渡すことだってできるのだ。   「このニットは届いたばかりなので、どんなふうにお直しするか、ちょっとお見せしますね」。ゆきさんはエプロンを身に纏うと、テーブルの上にニットを広げ、まずは状態を確認して、丁寧に毛玉クリーナーをかけてゆく。 「毛玉があると、箔をのせたときにそこだけぼこんとしちゃって、編み目が綺麗に見えなくなるんです。下地を整えるように、編み目の凸凹のへこんでる箇所の毛玉や、エッジの部分にある毛玉を取る。すごい地味な作業だけど、やるかやらないかで仕上がりのクオリティが違ってくるんですよね」 箔をのせる箇所だけでなく、他の箇所にある毛玉も取っておく。5分かけて丁寧に毛玉を取り終えると、いよいよ箔押しの工程だ。ゆきさんが顔料やインクと一緒に運んできたのは、網戸のようなフレームだ。まずはこれを使って、箔を接着する糊を塗ってゆく。 「最初の頃は筆で塗ってみたりローラーで塗ってみたりしてたんですけど、この方法が一番綺麗に表現できると気づいたんです。大学の授業でシルクスクリーンを習ったときに、紫外線に反応する感光乳剤を塗る過程があるんですけど、大きいバケットに乳剤を入れて、それを立てかけたメッシュに引いていくんです。そうすると表面だけに均一な薄い膜として塗布できるんです。それを応用して、このやり方にたどり着きました」 箔の糊をテーブルに取り出すと、そこに顔料を混ぜて、色をつける。「記憶の中のセーター」を作り始めた頃は、糊の元々の色である白のまま塗っていたけれど、今は顔料を混ぜている。箔が経年変化すると、次第に下地が見えてくる。それを「箔が消えてしまった」とネガティブに捉えるのではなく、変化を楽しんでもらえるようにと、色をつけるようになった。 「Tシャツやトートバッグはロゴの上に箔を重ねているので、経年変化とともに元々のヴィンテージの絵柄が現れてくるコンセプトです。ヴィンテージ自体に模様があるものはそういった経年変化の面白さが表現できるんですけど、ニットの場合はやっぱり、箔が消えちゃうと悲しいと思うんです。形あるものはどうしても変わっていく。そこを前向きに捉えてもらえるような嬉しい驚きをと思って、最近は箔の下地に色をつけるようにしてます。着用して掠れていくうちに、箔の下から鮮やかな色が現れてきますよ」 顔料を混ぜると、メッシュの上に薄く糊をのせていく。普段は60メッシュという密度を使っているけれど、お直しの場合は箔をさらに重ねるため、風合いがなるべく硬くならないよう、より網目の細かい80メッシュを使う。これを箔押しする箇所に置き、木製のヘラを当てる。こうすることで、ニットに糊が染み込むことなく、表面にだけ薄く塗ることができるのだという。 糊を塗り終えると、きちんと塗れているか、ニットに顔を近づけて確認する。「うんうん、良さそうです」とゆきさん。制作中のゆきさんは、普段よりちょっと、ちゃきちゃきしている。 糊が定着するのを待ち、いよいよ箔押しだ。糊が完全に乾くのは1~2日後のため、あらかじめプリントしておいたものを今日はプレスするという。ズレが生じないよう、慎重に箔を配置して、自動熱プレス機のボタンを押す。プレス機がゆっくり降りて、箔が圧着される。 再びプレス機が上がると、ぺたんこになったニットに箔がくっついている。箔のぬけ殻を取りのぞき、スチームアイロンを当てると、ニットは膨らみと輝きを取り戻す。 「お直しのときは、やっぱり緊張しますね」とゆきさん。「商品の場合、もしも何かしらのトラブルが起きた場合はアレンジすればいいのですが、お客様のニットはこの世に1着かぎり。失敗できないからどきどきします」 プレス機から、ちりちりとした匂いがする。今では暖房といえばエアコンだけど、昔、ストーブに当たっていた頃にこんな匂いを嗅いでいたような気がする。年の瀬が近づくと、親戚の家に集まり、こたつに入りながら、あるいはストーブに当たりながら、トランプで遊んでいたことを思い出す。 もうすぐ2019年も終わる。ゆきさんの2019年の抱負は何だったのかと尋ねると、「今年の豊富は『楽しく制作する』だったので、達成できたかなと思います」と答えてくれた。では、来年の抱負はと質問すると、仲間を増やすことだとゆきさんは即答した。   words by 橋本倫史...

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アランニット制作日記 11月/思わぬ出来事

アランニット制作日記 11月/思わぬ出来事

   「霜降」という節気がある。古代から使われてきた「二十四節気」という暦があり、これは太陽の位置をもとに1年を24等分したものだ。「立春」や「夏至」もそのひとつで、「霜降」は秋の最後の節気にあたる。 今年の「霜降」にあたる10月24日、ある知らせが届いた。予定されていたアトリエショップが延期となり、それにともなって新作アランニットのオンライン発売日も延期となったという。理由は「商品追加の遅れ」とだけ発表されていた。 その知らせから2週間が経過した11月のある日、ゆきさんのアトリエを訪ねて、一体何があったのか、話を聞かせてもらうことにした。 「本当は、10月26日と27日にアトリエショップを開催する予定だったんです」。グラスにお茶を注ぎながら、ゆきさんが語る。 「26日は予約制で、27日はフリーオープンにして、いつでも誰でも来ていただけるようにと計画していました。アトリエショップが始まる前に、先にオーダー会で注文してくださった方の分を発送しようと思って、段ボールからニットを取り出した時にある異変に気が付いて、『え!』って、膝から崩れ落ちました」 今年のアランニットは、パープルとネイビーだ。それぞれの色に染めを施したニットに、箔を押すデザインだ。しかし、いざ出荷しようと検品してみると、ネイビーに押した箔が輝きを失っていたのだ。 化学変化を起こして、銀の輝きが透明に変わってしまった箔(手前) 「3年前もネイビーとレッドに染めたのですが、そのときも箔がなぜか数週間で変化して、全部駄目になってしまって。一緒に染めた他の色ニットは変化がなく、どうしてその2色だけなのか原因がわからなかったんですけど、今回、またもネイビーが同じ現象になってしまったんです。染工場さんやインクのメーカーさんと一緒に調べたら、染色後に使う色止め剤の中のフッ化水素という成分が化学反応を起こしたようで、箔のアルミが消失して、透明になってしまって…。」 色止め剤とは、濃い色に染めた場合、色移りを防ぐために使用する薬品だ。8月にサンプルを染めたときには、サンプルは色移りを心配する必要も少なく、色止め剤は使用されていなかった。量産に入ってからも、当初は使う予定はなかったけれども、染め上がったネイビーのニットは思ったよりも色が濃く、安全のために万全を期そうと色止め剤を施すことになったのだ。 箔と色止め剤が化学反応を起こす。それは誰にも予見できないことだった。ニットに染めを施し、そこに箔を押す過程には前例が少なく、わからないことがまだたくさんある。 「調べていくと、そもそもウール自体にも硫黄成分が含まれているんです。硫黄には金属を変色させる作用があって、例えばウールジャケットの金属ファスナーやボタンが黒ずむことがあるのも、硫黄成分が作用しているそうです。羊の個体差によって硫黄成分の強いものと弱いものがあるようなので、今年からウール素材のお手入れについて詳しく書いた紙も一緒にお客様にお渡しするようにしました」 問題が発覚したのは、アトリエショップの3日前だ。このままではお客さまがやってきてしまう――ゆきさんは急いでアトリエショップを予約してくださったお客さまに連絡を取り、延期させてもらいたい旨を伝えた。そして、9月のオーダー会でネイビーのニットを注文してくださっていたお客さまにも連絡を取り、事情を説明した。 「オーダー会には、遠路はるばるきてくださったお客さまもいらっしゃったので、まずはきちんとお伝えしないとと思って、メールや電話で連絡させていただきました。全額返金させていただくか、もう一度アトリエにお越し頂いて、他の色のニットを選んでいただけないかとお願いしたんです。ほとんどの方がもう一度選び直してくださると言ってくれて、本当に感謝の気持ちと申し訳なさで、涙涙でした」 そうして11月3日と4日に再び、アトリエでオーダー会を開催した。それと同時に、箔が透明になってしまったネイビーの代わりに、パープルのニットを追加で染めることになった。「今年の新作は50着」と発表しており、パープルが25着、ネイビーが25着となるはずだった。でも、ネイビーは25着すべてが販売できなくなってしまったので、パープルを25着追加で染めることにしたのだ。 僕がアトリエを訪れたのは、そういった作業がようやくひと段落したタイミングだった。「ようやく作業が落ち着いて、昨日は疲れ果ててずっと寝ていたので、一日半ぶりに外に出ましたよ」。アトリエでお茶を飲みながら、ゆきさんはそう言って笑った。 ゆきさんのアトリエは路面にあり、入り口は前面ガラス張りだ。今年の初めにここを借りて、カーテンレールは取り付けたものの、そこにかけるカーテンはまだ製作中だ。開放感あふれるところは気に入っているけれど、あけっぱなしでは制作に集中できず、布をかけていることが多いという。 「物件を探してたとき、最初は広さ重視でと思ってたんですけど、マンションの一室で一人っきりで作業するのは孤独で心が落ち込みそうだと思って…。なので、日当たりがよくて、天井が高くて、水が使えることを条件に探したんです。そうしたら偶然この物件を見つけて。元・お米屋さんっていう立地も面白いですしね、『路面だったら、イベントもやりやすいかも』と思って決めました」 ただ、その段階では、3月に原美術館で開催するワークショップとプレゼンテーションの準備に追われており、具体的に計画を練る余裕はなかった。そのイベントが成功を収めたことで、アトリエをお客さまにひらくアイディアも浮かんできたという。 「これまではセレクトショップや百貨店に卸すことが多くて、お客さまひとりひとりとやりとりする機会はなかったんです。お客さまと接するのは、ポップアップの店頭イベントか、あとは展示会ぐらいだったので、こうしてアトリエショップを終えて、直接お客さまとやりとりすることの責任をすごく感じてます。原美術館のときはいろんな人が関わってくれたことで、今までにない大きな発表もできたのですが、私ひとりでできる仕事量には限界があるので、一緒にブランドを作っていける人を探そうかなと。今後の課題だなと思ってます」 ゆきさんはヴィンテージを扱って作品をつくる。ヴィンテージには誰かが使っていた痕跡があり、加工を施すことでその痕跡が浮かび上がる。そうして誰かの記憶を扱っていることもあり、「人に興味があるんですね」と尋ねられることが多々あるという。 「私は人が好きっていうよりは、物に対しての面白さを感じてるんですよね」とゆきさん。「ヴィンテージの物自体に魅力を感じたことが私の原動力なので、『人に興味がある』と言ってしまうとちょっと違うんですよね。だから、マーケティングやターゲット像はあまり考えてなくて、『誰に着てほしい』とか、『こういう人じゃないと着ちゃ駄目』ってことを一切感じないんです」 ゆきさんの作品づくりは、アトリエの中でひとり、ヴィンテージと向き合う作業だ。それは、洋服を着る誰かを想像するというよりも、素材自体と向き合う時間である。でも、アトリエをひらいたことでお客さまと対面する機会を得て、これからの制作に変化がありそうだとゆきさんは語る。 「オーダー会は全部予約制でしたけど、わざわざ予約して足を運んでくださるって、奇跡みたいなことだと思うんです。それに映画や演劇はパブリックな会場だけど、誰かの個人的なアトリエに行くのは、結構勇気が要ることじゃないですか。その手続きを経てアトリエにきてくれるお客さまがいるのはすごく嬉しいなと思うし、すごく責任が伴うことでもあるよなと感じてます。もうちょっとオープンにしてもいいのかもしれないなと思うし、でも、クローズドな環境だからできる面白いこともあるし、その按配はまだ探っているところです」 ところで、箔が透明になってしまったネイビーのニットたちは、一体どうなってしまうのだろう。そんな疑問をゆきさんにぶつけてみる。 「原因を突き止めて、もう一度回復させてあげられたら再販できるかも、と探っているところです。何年か前にも同じ現象が起きたときは、原因を突き止められなくて泣く泣く処分するしかなかったんです。でも、今回は染め工場さんとインクのメーカーさんが一緒に原因を調べてくださったので、ある程度推測ができて。まずその内の1着に“特殊洗い”をして、フッ化水素を落としてもらいました。そのニットにもう一度箔を重ねてみたんですけど、これで箔が無事かどうかわかるまで1年位は様子を見ないといけないから、今すぐにはお客さまの前に出すことができないんです。もどかしいですよね」 話を聞かせてもらっていると、「夕やけこやけ」が流れてきた。まだ17時だというのに、外は真っ暗で、いよいよ冬が近づいているのだと実感する。 「小さい頃は鍵っ子だったので、学校から帰ると、お兄ちゃんと一緒にお母さんたちが帰ってくるのをずっと待ってました」。ゆきさんは幼い頃の記憶を振り返り、「待つっていうのは辛いですね」と口にした。とっぷりと日が暮れたあとも、ゆきさんはアトリエで作業を続けていた。ニットを手渡すその日を待ちながら。   words...

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アランニット制作日記 10月/カネコアヤノ・木村和平との撮影の裏側

アランニット制作日記 10月/カネコアヤノ・木村和平との撮影の裏側

   待ち合わせ場所に選んだのは「新宿の目」だった。真っ先にやってきたのはシンガーソングライターのカネコアヤノさんで、スニーカーの白さが際立って見えた。聞けば、一番ぼろぼろの靴を履いてきて、新しいスニーカーを買ってきたのだという。古い靴はお店に引き取ってもらって、買ったばかりのスニーカーに履き替えてきたのだ、と。彼女の「とがる」という曲の歌詞が、ふいに思い浮かんだ。 今日は新作のアランニットのビジュアル撮影の日だ。モデルを務めるのはカネコアヤノさんで、撮影するのは木村和平さんである。 「私は和平君のことを“かずへりん”って呼んでるんですけど、彼が10代の頃すごくファッションが好きで、原宿によくいた時のあだ名です。私もまだ学生だった頃に知り合ったんです」。ゆきさんは和平さんのことをそう紹介してくれた。 「かずへりんはその頃から写真を撮っていて、展示会にもよく遊びにきてくれて。それで、今年の春に表参道ROCKETで「”1000 Memories of” 記憶のShop」という展示会をやったとき、アヤノちゃんと一緒にきてくれて、『歌手のカネコアヤノさん』と紹介してくれたんです」 「かわいらしい女の子」というのが、ゆきさんがアヤノさんに抱いた第一印象だった。すぐに音源を聴いて好きになり、ライブに足を運んで一段と好きになったのだという。 「こないだ渋谷さくらホールでの単独演奏会も観に行ったんですけど、あんなに大きなホールに立っていても、人間・カネコアヤノが客席に伝わってくる感じがするんですよね。地団駄踏むような感情って、普通は他人に見せずに隠そうとすると思うんです。そのままでいることって難しくて、自分をよく見せたいと思っちゃうじゃないですか。でも、アヤノちゃんはありのままをぶつけてくる」 この日の撮影は「新宿の目」からスタートした。地上に上がってみると、もう新宿スバルビルの姿はなくなっていた。これから先、「新宿の目」はどうなってしまうのだろう。 「今、17℃しかないんだ!」。小田急百貨店の屋上にあるダイキンの温度計を見て、アヤノさんが声をあげた。この日は一気に冷え込んで、北海道で初霜が観測されたと報じられていた。いよいよニットの季節が近づいている。 「ゆきさんの作品を初めて生で見たのは、マームとジプシーの『みえるわ』って舞台を観たときなんです」。身に纏ったニットを光で照らしながら、アヤノさんはそう話してくれた。「あのとき、ゆきさんの作った衣装がダントツに可愛くて、最高だなと思ったんです。それで、原宿で初めましてをして、そこで買ったTシャツをライブでの衣装に使わせてもらって。こないだの渋谷さくらホールでワンマンライブをやったときは、ワンピースを作ってもらいました」 写真を撮りながら新宿を歩き、名曲喫茶「らんぶる」に入り、ドライカレーとチキンライスをそれぞれ注文する。 「ボブ、似合ってる」。アヤノさんの髪を見つめながら、ゆきさんが言う。 「良かった。皆、『切って良かったね』って言ってくれるから、嬉しい」とアヤノさん。 「ボブにすると、すごい楽だよね。髪の毛を乾かすのも早くなるし」 「楽だから、いまだに感動してる。お風呂に入ろうって気持ちになれる。ほんとはおでこも出したいんだけど、富士額だし、眉毛も強過ぎるから、勇ましいのよ。こないだも前髪を短くしたんだけど、強過ぎるから、これぐらいの長さになってきたほうが心が安定する」 運ばれてきたドライカレーを頬張りながら、ふたりはそんな言葉を交わしている。誰より髪の長い和平さんが、ときどきそっとシャッターを切る。その音がなければ、今日がビジュアル撮影だということを忘れてしまいそうなぐらい、どこまでも穏やかな時間が流れてゆく。 作品を制作するたびに、ゆきさんはビジュアル撮影を行なってきた。YUKI FUJISAWAの「NEW VINTAGE」シリーズはすべて一点物だということもあるけれど、イメージビジュアルはファッションの世界で欠かせない存在だ。でも、ここ最近はビジュアル撮影をしておらず、今回は久しぶりの撮影なのだという。 「今の時代、ビジュアルってどんどん流れていってしまうから、イメージビジュアルを作ってもその場で消費されて終わってしまうなと思っていたんです」。喫茶店を出て、駅まで向かう道すがら、ゆきさんはそんなことを話してくれた。 「ただ、ファッションフォトの重要性ということも、最近よく考えるんです。ファッションフォトには『これを着ることで、こんな世界が私にもやってくる』と思わせる力があって、モノ以外のことを想像する余地が増えていくから、ビジュアルの訴求が必要だなと思っていたんですよね。そんなときにアヤノちゃんが着てくれている姿を見て、とても似合ってるし、何より彼女自身が歌にする日々の小さな輝きを大切にする姿に、YUKI FUJISAWAの作品と通じるものがあると思っていて。それでアヤノちゃんにモデルをお願いしようと思ったんです」 カネコアヤノさんをモデルにすることと、撮影を木村和平さんにお願いすることは同時に決まった。和平さんはアヤノさんの写真を撮影し続けており、アヤノさんが近年リリースした作品のアートワークにも共同制作として携わっている。「かずへりんが記録しているアヤノちゃんが抜群にいいから、ふたりにお願いすることにしたんです。それも、1日で撮ってもらうんじゃなくて、ニットを1ヶ月くらい預けて、かずへりんがいつもアヤノちゃんを撮っているみたいに時間をかけて撮ってもらおうってことになったんですよね。意見を出し合ったら3人ともそう思ってたんです! 今この瞬間の輝きは、2019年のふたりにしか描けないなと思って、ニットを託すことにしました」ニットを預けてビジュアル撮影をお願いするのは今回が初めてのことで、「こうした撮影方法は今まで想像したこともなかった」とゆきさんは語る。撮影に際しては写真家に委ねる部分がなければうまくいかないけれど、作家として、どうしても「うまく撮って欲しい」と思ってしまう。だから、これまで撮影には常に立ち会ってきたし、常に現場には緊張感があったけれど、今回はふたりに全面的に委ねようと思えたのだ、と。「こうしてアランニット制作日記を書いてもらうようになって、今年のニットは2019年のニットだってことをすごく意識するようになったんですよ。かずへりんはアヤノちゃんのことを刻々と記録してるけど、それと同じように、2019年に存在したニットとして写真に収めてもらいたいな、と。日々何かを作っている中でちょっとずつ自分の気持ちも変わっていくし、今この年にしか撮れないものや、いつかなくなってしまう場所、そういうものも一緒に記録できたらと思ったんです」 新宿駅から中央線に乗って、吉祥寺に出る。ここまでの撮影は、吉祥寺で撮影したものが多いのだと和平さんが教えてくれた。「いわゆる“ファッションフォト”という感じじゃなくて、普段の生活の中で、たまたまYUKI FUJISAWAのニットを着ている感じにしたかった」のだと。 アーケードの下を歩きながら、ゲームセンターを冷やかして、バッティングセンターにたどり着く。コインを投入する前に、バットを手にしたアヤノさんが打席に立ち、素振りをしている。...

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アランニット制作日記 9月/夏の気配が残るオーダー会のはじまり

アランニット制作日記 9月/夏の気配が残るオーダー会のはじまり

   アトリエの入り口にスリッパが2組、綺麗に揃えられていた。暑さ寒さも彼岸までと言うけれど、すっかり秋めいてきて、ニットの季節が近づいているのを感じる。 ゆきさんはアトリエの隅々まで掃除機をかけると、ウッディーベースのルームスプレーを振り、お客さまがやってくるのを待ちわびた様子でいる。 今日はこれから、オーダー会が開催される。YUKI FUJISAWAの代表作でもあるアランニットシリーズ「記憶の中のセーター」を、自分の希望に沿って仕上げてもらうことができるのだ。オーダー会は4日間に渡って開催され、1枠につき2組ずつ、お客さまをお迎えする。 「今日はありがとうございます。デザイナーの藤澤ゆきです。初めまして」。お客さまが揃ったところで、ゆきさんが挨拶する。 「今日はニットをたくさんご用意してます。数ある中から、ベースとなるニットをお選びいただき、箔を入れる箇所、箔の色までフルオーダーできるご予約会です。こんなにたくさんニットがあるので悩んでしまうと思うんですけど…、気になるものをどんどん手に取ってみてくださいね」 アトリエにはアランニットがずらりと並んでいる。染めを施していない無垢な“ホワイト”や、過去の染め色の“アーカイブ染”もあるけれど、お客さまが真っ先に手に取っているのは今年の新色であるパープルとネイビーの“オパール染め”だ。 「気になったら、どんどん試着してくださいね」とゆきさんが声をかける。「試着していくと、自分に合う雰囲気のニットがわかってくるので。ちなみに、プルオーバーとカーディガン、どちらがお好みですか?」 「普段はあんまりカーディガンを着ないんですけど、こうやって羽織ってみると可愛くて、まだ迷ってます」とお客さま。「入れてもらう箔も、オーダー会に申し込んだ段階では“編み目”でお願いするつもりだったんですけど、この“粉雪”も可愛いですね」 今年のオーダー会では、箔のデザインを“編み目”と“粉雪”から選べるようになっている。“編み目”とは、名前の通りニットの編み目を浮かび上がらせるデザインで、これまでのアランニットシリーズにも用いられてきたスタイルだ。一方の“粉雪”は、この日に間に合うように新たにデザインした新柄である。 「新しい柄のことは、前からずっと思っていたのですが、あまりピンとくるデザインが浮かばなかったんです。でも、新色としてネイビーに染めてみたときに、暗いベースに箔の煌めきが対比して柄が美しく見えてきて、ようやくこういうデザインが合うな、と。そこから時間をかけて少しずつデザインを詰めていって、肩に雪がしんしんと降り積もっていく姿をイメージした“粉雪”を作ったんです」 「このニット、ずっしりしてる」。ネイビーに染められたニットを手にしたお客さまがつぶやく。「そう。そのセーターは重いんですけど、そのぶん暖かくて、アウターが要らないくらいです」とゆきさん。お客さまは「これなら雪国にも行けそう」と小さく笑う。 今日はよく晴れていて、ひかりが射し込んでくる。でも、ニットを試着しても汗ばまないようにと、冷房が強めにかけられている。アトリエの外はまだ夏の気配が少し残っているけれど、ここは森の匂いが漂っていて、涼しい空気が流れている。粉雪が降り積もる季節を想像しながら、お客さまは試着を重ねてゆく。 YUKI FUJISAWAがアランニットの個人オーダー会を開催するのは、これが2度目のことだ。最初に開催したのは2年前の冬にさかのぼる。 「ブランドを始めたときはまだ学生で、しばらくは実家の一室で制作していました。それだとお客さまどころか仕事関係者も呼びづらかったんです。そのうち台東デザイナーズビレッジという共同アトリエを借りて、外のギャラリーで展示会も開催していた頃、『お店のための展示会ではなくお客さまに向けた個人オーダー会にチャレンジしてみたい』という気持ちが芽生えて。今年の会は、2017年の12月に個人オーダー会を開催した以来です。」 それ以前も、ゆきさんは何度か展示会を開催してきたけれど、それはワンピースやトートバッグを扱うもので、アランニットの個人オーダー会は久しぶりだという。 「普段ひとりで制作しているときは『このヴィンテージをより美しくするには』『どう活き活きさせるか』、素材そのもの興味が向くので、着用者の姿を想像するよりも、ヴィンテージ素材そのものに意識がフォーカスしていることが多かったんです」 ゆきさんは、古着に染めや箔を施すことで、「NEW VINTAGE」という作品に生まれ変わらせる。そこにどんな加工を施すか、アトリエでひとり素材と向き合いながら考えて、完成した作品をお店に届ける。その過程では、実際に身にまとう人と対面できる機会はない。でも、オーダー会ではひとりひとりのお客さまと向き合うことになるので、いつもと違うモードになる。 「今回のオーダー会が始まる前は、いろんなことにナーバスになってしまい、『一人も来ないんじゃないか』とか、『ニットの風合いが固い』みたいなことまで気になり始めちゃって(笑)。ニットってそういう素材のはずのに、一度気になり始めると止まらなくなっちゃって。だから、今日を迎えるまではすごく不安な部分もあったんです」 その不安は杞憂に終わり、お客さまは嬉しそうに試着を重ねている。その様子に、ゆきさんはどこかホッとした様子でいる。 「こうやってイベントを開催すると、ほんとに感謝の気持ちが出てきますね」とゆきさん。 「生活をしていると、『あの映画、あの展覧会に行きたかったのに、気がついたらもう終わっちゃった』ってことがありますよね。でも、今日のオーダー会は1ヶ月前から予約をしてくれて、自分の人生の中にこの時間を空けてくださって、このアトリエまでたどりついてくれるわけじゃないですか。それってすごいことで、そのことを思うと嬉しくて涙がでます。感謝の気持ちを絶対に忘れちゃいけないなといつも思うんです」 2組のお客さまは、購入するニットを決めて、次はどんな箔を入れようかと頭を悩ませている。袖の長いネイビーのセーターを選んだお客さまは、迷いに迷って、袖口にも箔をプリントすることを選んだ。 「袖が長いので、袖を折り返して着るだろうから普段は箔が隠れると思うんです。でも、『今日は袖にシルバーの箔が欲しい!』って日には、袖を折り返さずに、箔を見せて着ようと思います」 オーダー会の様子を眺めていると、お客さまの生活の姿を垣間見ているような心地になる。彼女は今、アトリエでアランニットを試着しているけれど、実際にそれを身にまとうのは日常生活の中だ。アトリエにある鏡を見つめながら、近い未来に自分がどんな気分で生きているかを想像し、ニットをまとっている未来の私を想像する。そして、その一着が未来の私にぴったりフィットするように、箔を載せる箇所を選んでゆく。 「じゃあ、この子たちは大事にお預かりしますね」 どんな箔をプリントするかが決まり、それをメモし終えると、ゆきさんがお客さまにそう切り出す。「11月まで、しばしのお別れ。ちょうどニットが着られる季節にお届けします」...

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アランニット制作日記 8月/ヴィンテージと染工場との出会い

アランニット制作日記 8月/ヴィンテージと染工場との出会い

  7月はあんなに曇りが続いたのに、8月の東京は猛暑となり、空は嘘みたいに晴れ渡っていた。晴れていても曇っていても、そこにある風景は同じであるはずなのに、陽が射すかどうかで印象は変わる。すべては光の加減で決まっている。 「私はもともと色に興味があったんです」。サンプルとして染めた端切れを手に、ゆきさんが教えてくれた。色というのも、光の加減によるものだ。 「学生の頃、かわいい形のペンを使ってみると、つまんない勉強もちょっと楽しく思えたんです。そういう原体験があったから、自分が作ったもので誰かを少しでも楽しい気持ちにさせたくて、最初は雑貨のデザイナーになりたいと思っていたんです。そこから大学で布を勉強するうちに、衣服にも興味が湧いたんですよね」 ゆきさんは多摩美術大学生産デザイン学科に進んで、テキスタイルを専攻した。そこで学べることは、「織り」と「染め」と「プリント」に大きく分かれていた。 「美大の受験って、筆記の他に絵を描く試験があるんですけど、私は柄を描くより色味のほうにすごく興味があったんです。プリントを専門にしようとすると、どうしても絵柄を描かなきゃいけないし、織物は糸が絡まり過ぎちゃって、『もうイヤ!』ってなっちゃって。その中で自分に合っていると思えたのが染めで、私にとってはそれが一番自由な表現に思えたんです」 美大を受験するずっと前から、ゆきさんは染めに興味を抱いていた。家庭科の授業で、板締め絞りを体験する機会があった。板締め絞りとは伝統的な絞り染めの技法で、素材を板で強く挟んで、染料がしみ込まないようにして、板の形に模様を作る技法だ。その模様はプリントとは異なり、どこかもやんとしていて、子供ながらに「面白い!」と思った記憶があるという。 「学生の頃は服の形に興味がなくて、染めることで素材自体が変わっていくことが面白かったんです。真っ白な布を染めると、急に鮮やかな色に変わって、魔法みたいだなと思ったんですよね。そうやってものが変わっていく様子が面白くて、大学生の頃は何でもかんでも染めてました」 最初のうちは買ってきた糸や布を染めていた。オーガンジーの生地を染め、キルティングの布を染め、革を染めて――そうして様々な素材を染めているうちに、ふと思い立って、ヴィンテージの古着を染めてみた。染めあがった洋服には、これまでと違う感触があった。 「糸や布を染めるのも面白かったんですけど、それは素材だから、漠然としている感じがあったんです」とゆきさんは振り返る。「服として成立しているものだと、自分の生活にも近い感覚があって、イメージが追いつく気がしたんです。それに、自分が仕立てた洋服じゃなくて、誰かが着ていた古着に対してアプローチするのも面白くて、それでどんどんヴィンテージを染めることに傾倒していったんですよね」 学生時代は大学のラボで、卒業後は西立川にある産業技術研究センターで布を染めた。そこは中小企業によるものづくりを支援する施設で、ニットの機械や布を染めるためのコンロ、大きな乾燥室まで完備されていた。ニットを車いっぱいに積んで西立川まで出かけていたけれど、2014年からは染工場に依頼するようになる。 「染めるのって、すごく大変な作業なんです」とゆきさん。「染めって言うと皆、色水に浸すところを思い浮かべると思うんですけど、他にも工程がたくさんあるんです。染める前にほつれているところを縫って、精錬という先洗いをして、ようやく染め、また洗って乾かして――それを何十着とやり続けるのは体力的に無理だと思って、工場さんにお願いすることにしたんです」 当時はまだ大学を卒業して間もなく、縁のある工場もなかった。インターネットで検索して、ヒットした工場にひたすらアプローチをかけた。「まだビジネスマナーもわかってないから、たぶんめちゃくちゃなメールを送ってしまっていたと思います」とゆきさんは振り返る。ほとんどの工場からは返信がなかったけれど、唯一返信をくれたのが内田染工場だった。   ゆきさんと一緒に、内田染工場を訪ねる。普段はメールと電話でやりとりをするので、工場を訪れるのは今日で3度目だという。 うちはもともと桐生で呉服屋をやっていたんです」。内田染工場の社長を務める内田光治さんはそう教えてくれた。内田家は代々呉服屋を営んできたけれど、内田作次さんは呉服屋を兄に任せて上京し、染色の技術を学んだ。そうして東京の山手・小石川に内田染工場を創業したのが明治42年――今から110年前のことだ。 昭和10年(1935年) 内田染工場 上棟式 「今はこっちが表通りになってますけど、昔は植物園に面したほうが表通りになっていて、川が流れていたんです。私が生まれた頃にはもう違ってましたけど、当時は川に沿って染工場がいくつかあったそうです。元が呉服屋だったこともあって、最初は呉服関係の糸染めをやっていたんですけど、戦争で桐生に疎開して、靴下製造業を始めたんです。疎開しているあいだにここは焼けてしまって、戦後に釜一つからやり直したんです」 昭和30年(1955年) 内田染工場の2代目と奥さま 工場前にて 内田光治さんは三代目にあたり、幼い頃から靴下の中に埋もれるように暮らしていた。小さい頃から家業を手伝うのは当たり前で、大学生の頃も休日は工場で働いていたのだという。 「その当時は父と母、それに職人がふたりぐらいしかいなかったので、自分が入らなければ終わってしまうというところもあったから、継ぐことに対する抵抗感はなかったですね。今は私も含めて25名いるんですけど、最大で44名いた時期もあるんです。その頃は60代、70代の職人がいて、『見て覚えろ』みたいな感じで良い師弟関係があったんですよね。それが今、代替わりしている感じです」 2013年にアポイントを取ってからというもの、ゆきさんはずっと内田染工場でニットやトートバッグを染めてもらっている。「工場の皆さんも良い人ばかりですし、若い職人さんも多いんです」とゆきさんは言う。繊維産業は高齢化が進んでいて、後継者不足によって閉鎖を余儀無くされる工場も少なくないけれど、内田染工場には若い従業員もいる。 「職人は40代が比較的多いんですけど、洋服が好きだから、見た目は若々しいんですよね」と内田さんは笑う。「その世代の職人たち――上の世代から『見て覚えろ』と言われていた職人たち――が、自分たちが覚えてきた技術を次の世代に受け継ぎたいという欲望が出てきたこともあって、20代の人を入れたいなと思って募集をかけたんです。そこに何人か応募があって、この秋から新たに3人採用することになるので、ちょっと若返ることになると思います」   YUKI FUJISAWAのNEW VINTAGEは、ヴィンテージ素材に染めや箔を施すことで、新しい価値を生み出したものだ。古くから伝わるものに、別の角度から光を当てることで、新しい価値を生み出す――その姿勢は、内田染工場にも共通している。 「染めやプリントって、ある程度はテクニックが決まっているところもあるんです」とゆきさんは言う。「でも、内田染工場は若い職人さんも多くて、内田さんも新しいことに挑戦されていて。4年前に川上未映子さんの小説『あこがれ』をイメージしたニットを作ったときも、ここでサンプルを見せてもらって、『こういうグラデーションで染めてみたいです』とお願いしたんです。数年前からやってもらっているオパール染というテクニックも、ここにあるサンプルを見せてもらって『これをニットでやったら面白そう』と思いついたんです」 染めの色を指定するとき、カラーチャートで依頼することが多いけれど、紙に印刷される色味と布を染めた色味は微妙に異なる。より細やかにニュアンスを伝えるために、布の素材を送ることもあれば、色のついた石を送ったこともあるという。...

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