「あたらしい種」 記憶を編む セーター制作日記(8)
故事 | 2023/04/30
嵐のように、強い風が吹いていた。空は晴れ渡っているけれど、春風が吹きこんで、もうすっかり散っているはずなのに、どこからか桜の花びらが飛んできた。
4月8日から、YUKIFUJISAWAの新作アランセーターお披露目会が開催された。会場となる「もりやまていあいとう/えいとう」を訪れると、出来上がったばかりのセーターが飾られていた。
お披露目会が始まる前に、モデルの美佳さんとうめさんが新作のセーターを見に纏い、木村和平さんが写真に収めていく。場所によってひかりの加減が大きく移り変わり、糸の表情が少しずつ違って見えてくる。その色味にしばらく見惚れていた。
アランニットの定番の「WHITE」は、羊毛の色味を生かした色合いだ。この「WHITE」と、藍染のような風合いを感じさせる「NAVY」。それとは別に、あたらしい色がふたつ。ひとつは、アラン諸島の草と大地にインスピレーションを受けて生み出された「GREEN」。もうひとつは、ゆきさんがアラン諸島で見かけた花をモチーフに生み出された、落ち着いた風味のある「PINK」。
今年の新作として編まれたセーターは3つ。ひとつめは、「Inis Mór」。島の名前を冠したプルオーバーのセーターだ。アイルランドのナショナル・ミュージアムで目にした、前後の模様が異なるセーターに着想を得て編まれた一着だ。
アランニットらしさを感じさせる幾何学模様と、島に咲く花を思わせる模様とが折り重なる。印象深いのは、ざっくりした襟ぐり。このかたちの元となったのは、ゆきさんのお父さんが30年以上前にヨーロッパで購入し、ゆきさんに引き継がれたセーターなのだと教えてくれた。
ふたつめは、「Dublin」という名のカーディガン。アランニットの起源となったガンジーセーターを思わせる、プレーンな編み地のセーターだ。
ガンジーセーターは漁師のセーターだから、ほつれたときに直しやすいように、シンプルなデザインのものが多かったのだという。フィッシャーマンのセーターにインスピレーションを得た「Dublin」は、袖と裾に意匠が施してあり、ポケットの模様を選ぶことができる。
みっつめの「Galway」は、豪華絢爛という言葉がぴったりくるカーディガンだ。アランニットの編み図を、ニッターの千代子さんが解読し、一着につき200時間かけて編まれたものだ。無地のニットを編むのであれば、そこまで時間をかけずに編むことも可能だが、アランニットはぎゅっと模様が詰め込まれている。ガンジーセーターと同じように、アランニットもまた、フィッシャーマンのセーターとして編まれてきたものだ。
この「Galway」は、その歴史を体感させる一着でもある。ぎゅっと模様が詰め込まれているぶん、ずっしりと重厚感があり、強い浜風からも身を守ってくれそうだ。
会場をじっくり観察すると、新作のニットだけでなく、さまざまなものが静かに配置されている。あちこちに、草花が並んでいる。これは何という花だろうかと見入っていると、「このお花を用意してくれたのは、前回の日記でも話した“まなちゃん”です」と、ゆきさんが教えてくれた。会場には“まなちゃん”こと、アーティストの山本万菜さんの姿もあり、僕が見入っていたのはレースフラワーという名前なのだと教えてくれた。飾られている草花は、アラン島の景色や、ゆきさんのニットをイメージして選んだものだという。
「地下にある花が見事なんです」。森山さんに案内されて、「あいとう」の地下に降りてみる。「あいとう」の地下はバスルームになっていて、バスタブがあり、シャワーヘッドがある。バスタブに寄り添うようにして、まるでそこから生えてきたみたいに、草花が並んでいた。床はコンクリートだけれども、土の匂いを感じる。純白のレースのような佇まいをした花は、「オルレア・グランディフローラ」だ。
バスルームの壁面には、ドキュメンタリー映画『アラン』が映し出されていた。長編ドキュメンタリーの父と呼ばれるロバート・J・フラハティ監督によるその映画は、1934年に公開されたものだと森山さんが教えてくれた。1934年というと、アランセーターが生まれて間もない時代だ。それから100年近い歳月を経て、はるか海を超えた先にある東京で、あたらしいアランセーターが生まれたのだ。
壁面に映し出される映像の中では、荒涼とした海の中に船が浮かんでいる。その映像のはじっこに、オルレア・グランディフローラが影絵のように揺れている。映像に記録されたアラン島から、途方もない時間と距離を旅した先に、ゆきさんの新作が紡がれている。
「バスタブに水を張って、そこに船を浮かべようと思っていたんですけど、ここに浮かべられそうな船が見つけられなくて」。森山さんは残念そうに言う。水を張るかわりに、バスタブには写真が3枚置かれていた。路面に咲いた小さな花と、石垣の向こうに佇む馬と、定期船の窓から見えた海と――ゆきさんがアラン島で目にした光景が、バスタブの底に並べられている。近くの洗面台には、ゆきさんがアトリエで使用しているシルクスクリーンのフレームや、インクを伸ばすためのスキージが置かれていた。
アラン島を訪れたときの切符や、現地で書かれたメモ。これまでに発表したニットの小物や、新作に使う毛糸に、サンプルを制作する中で千代子さんから届いた手紙も、棚に置かれてある。ゆきさんがヨーロッパを旅したときに買い求めた瓶も並んでいて、そこにも活けられた草花が並んでいる。ゆきさんがこれまで過ごしてきた時間が結晶となって散りばめられているようだ。
天気も良いことだし、ふらりと近所を散歩する。小さな交差点に出ると、お年寄りが赤いバケツとブラシを手に佇んでいて、道路の汚れを見つけてはきれいに洗い流していた。界隈には年季の入った住宅も多いが、きれいに掃除が行き届いている。家の形もそれぞれで、屋根の色も一軒ずつ違っているけれど、どの家にも物干し台があり、洗濯物が風に揺られている。そして、いたるところに植木や鉢植えがあり、色とりどりの花が咲き誇っている。
人は暮らしの中に花や緑を取り入れて、彩りを添えようとする。ゆきさんのセーターも、誰かの生活を彩るものになるのだろう。
会場には、さまざまな色をしたボタンが、忍ばせるように配置されていた。カーディガンをオーダーするお客さんは、お気に入りのボタンを見つけようと、宝探しのように探索している。ひときわ大きな窓がある「えいとう」の3階には、ニッターの千代子さんの姿もあった。
店頭に並ぶニットであれば、誰に買われていくかはわからないけれど、オーダーを受けて編む場合、届く相手が決まっている。新作のセーターの中には、1着編み上げるまでに200時間もかかるカーディガンもある。それだけの時間を注いで編み上げるカーディガンを、どんな人たちが着てくれるのか、その気配を感じとりたくてお披露目会にやってきたのだと、千代子さんは話してくれた。お客様がセーターを試着している空間の中で、窓から射し込むひかりに照らされながら、千代子さんはニットを編んでいた。
お披露目会が開催されているあいだ、扉という扉は開け放たれていた。開け放たれた扉を眺めていると、一篇の詩を思い出した。川上未映子さんの「治療、家の名はコスモス」だ。2018年、マームとジプシーという演劇カンパニーが川上未映子さんの詩を舞台化した際に、「治療、家の名はコスモス」の衣装を担当したのがゆきさんだった。その詩は、こんなふうに書き始められる。
この日は嵐のような風が吹きつけているだけではなくて、大陸から黄砂も飛来していると報じられていた。窓や扉を開け放っていると、外からなにか良くないものが飛び込んでくるおそれがつきまとう。ただ、「小さな家の窓や扉」を「いつだってみっちりと閉めて」いたコスモスは、最後に扉を開け放つ。
(…)それから三時間ほどベッドのなかでからだをまるめて、それから奥のほうにおしやられた痛みをみないふりをして、ベッドを抜けて、家のなかにある容器の蓋という蓋を外していった。それは全部なんとなくのことだった。幾つも幾つも蓋はあった。それとおなじ数だけの出入り口。戸棚をひらき、書類入れを引きだし、のりの蓋をあけ、冷蔵庫の扉をひらいた。それからゆっくりと窓際まで歩いていって、もう何年もさわっていなかった窓を押してあけた。玄関の扉をめいっぱいあけてみた。風がそれらをむすぶ一直線に吹き抜けて、なにか巨大な筒が走り抜けてゆくようだった。コスモスはその勢いに倒れてしまいそうだった。しかしそれは、コスモスのよくしっていたなにかを思いだす、なにか、とても、単純に言って悪い気のしないものだった。
(川上未映子「治療、家の名はコスモス」)
お披露目会に来場した人たちは、新しい何かと出会うために、玄関の扉を開けて足を運んだのだろう。あるいは、オンラインオーダー会に参加する人たちも、新しい何かが吹き込んでくることに期待して、窓を開いたのだろう。
キッチンを覗くと、こぶりな花が飾られていた。その花に見入っていると、「リトルウッズ」という名のマイクロローズなのだと、万菜さんが教えてくれた。その花は、万菜さんがここで展示をしたときに飾っていたものだ。展示が終わったあと、森山さんは挿木をして花を増やし、あちこちに飾っているのだそうだ。「森山さんは、根付かせるのが上手なんです」と、万菜さんは語っていた。
お披露目会でオーダーされたセーターは、長い時間をかけて大切に編まれ、やがてセーターとなって誰かの家まで運ばれてゆく。生活の中に根を張り、長い歳月をともに過ごす、かけがえのない一着になるのだろう。
Words 橋本倫史
Photo 木村和平