なによりも木を見てほしい──実用性から離れても、なくてはならないもの|市川岳人「ニューオールドカリモク」
故事 | 2025/03/28
木へのどこまでも誠実なまなざしをたずさえながら、山を登るように一歩一歩、実直に手を動かしている。気づけば、星々が瞬く場所にまで、その歩みは辿り着いている。そんなものづくりを思わせる、木工作家の姿がある。
東岡崎駅からバスで45分ほど揺られていく。山道を登ると景色が変わり、見上げるほどの丈のすすきの穂の輪郭が太陽の光で黄金色に縁取られ、だいぶ眩しい。すすきの光に目を細めることがあるのかと驚く。そんな年の暮れ、カリモク家具と同郷の愛知県に工房を構える、市川岳人さんに会いに行った。
こんにちは、と、道のうえから歩いてきた市川さんが手を振り、迎えてくれる。招いてくれた場所にはふたつの小屋があり、それぞれ“工房”と“休憩場所”なのだそう。先に案内してくれた工房のシャッターは半分しまっていて、奥は暗かった。市川さんは「史上最大級にちらかっているかもしれません……」と照れながら、ひょいとからだをかがませ入り口をくぐり、わたしたちもそれに続く。
暗いと思われた部屋に足を踏み入れれば、窓が大きくとられ、ほの明るさに包まれた。目に飛び込んできたのは工房中を埋めつくす、背の高い、ひらべったい、円柱の、角ばった、穴の空いた、ほそっこい、まだら模様の、赤ワイン色の、墨をかけられたような……かたちも色も大きさもばらばらで、色とりどりの、木、木、木の無数の断片たち。
「自分でも木材を買いますし、知人たちが『これで面白いものつくれませんか』って、珍しい木を置いていってくれるんです。なかには、顔の部分が削れてしまった木彫の熊をくれた人もいますよ」
市川さんは、木片や木材を一つひとつを手にとりながら、話を続ける。それぞれの木がもつ良さをいかしながら、削りたいと思っていること。自分がこのかたちにしたいという欲望の前に、目の前に存在している木の面白さをまず大切にしたいと考えていること。
「木目の方向が入り組んでる箇所があるんです。カリモク家具の洋さん(加藤洋取締役副社長)からもらったこの木もそうですね。こういうのは、削るとなると使いづらいけど、めっちゃきれい。仕上げると、キラキラってなる。まず、なによりも木を見てほしいんですよね。こういう変わった表情のものではなく、素直な木目の木でも、よく見るとある部分だけ木目が曲がっているところがあったり。だから削らないほうがいい木もあるし、削りにくくてもそれは問題にしません。面白いものができれば、それが一番」
キラキラ、と口にするときの声がやわらかくなったのが印象的だった。気になって、木がキラキラするってどういうことなのだろう? と見つめてみると、一見乱れた木目に光が乱反射し、輝く砂を撒き散らしているように確かに光った。ゆらゆらしたり、縮んでいたり、通常とは異なる複雑な表情の木目は杢(もく)と呼ぶことも教えてもらう。市川さんの代表作のひとつでもある「杢星」シリーズは、まさに木目を見てほしいという思いから、生みだしたものなのだそう。作品の説明には必ず、木の種類がこまかく添えてあって。
そんなことを考えていたら、工房の風景が一気に変わったような心地がした。木材や端材が、たんなる“材料”ではなくなっていく。工房の周辺の人通りは少なく、耳を澄ませば、木片のにぎやかな声が聞こえる。目を凝らせば、個性の異なる木片にぐるりと囲まれた、市川さんの普段の制作風景が透けて見えてくる。この工房では、人間よりも木のほうが、断然存在感がある。
楽譜みたいだ、と思う。“ただの木材”よりも奥にあるものが、見える人には豊かに見える。「木を見てほしい」という市川さんの言葉の意味もきっと、“人間が人間のためだけに一方的に木を利用する”、という実用性のみが張りついたまぶたを何度も閉じたり開いたりして瞬かないと、本当のところがわからない気がした。もっと木のことが知りたいと思う。いよいよ普段の制作の様子を見せてもらう。
「ちょっと、やってみますね」
そう言って手にしたのは、20cmほどの清潔そうな角材。素人目には、一見どこにでもありそうな材木であるが、原木を製材して作品づくりに使える角材にするのも市川さんの仕事だ。くるりと背を向けた先には、旋盤という、市川さんの作品づくりに欠かせない機械が待ち受けている。小さな角材を横向きにしっかり固定するやいなや、木材はものすごい速さで回転をはじめた。木材にバイト(ノミのような刃物)を押し当て、左右にすべらせながら、くびれやかたちをつくっていく。
「本当に手の感覚だけで削ってるんですね……!」
ゆきさんが感嘆の声をあげる。
「ノミのような道具がたくさんあるんですね」
「いくつかあるにはあるんですけど、実際に使う本数は僕は少ないほうですね」
「すごい、もう市川さんの作品になってる」
5、6分ほどで、リングスタンドの輪郭が見えてきた。鐘のようにすべらかでまるい部分が存在しているかと思えば、儚いくびれがその上につらなる。まるで小指同士で交わした約束の糸みたいな細さ。その緩急は魅力的で、じっと眺めていると、世界の果てには、こんな幻のような塔があったりもするのだろうかと、白昼夢のひとつも見たくなる。市川さんの木工作品は、見ているものの足をたちどまらせる。心をひきとめ、束の間、時がとまる。今回のカリモク家具とのコラボレーションにあたって、市川さんにお願いしたいと考えた理由をゆきさんはこう話す。
「わたしのものづくりの原動力には、見たことがないものを見てみたいという気持ちや、自分でつくるものに自分が驚きたいという思いがあるんです。だから今回はすべて、自分がこの人の作品を見てみたいと心から思える、尊敬する作家さんに依頼しました。
旋盤を使う木工作家さんのなかでも、市川さんの作品は、ひとめ見れば、市川さんの作品だとわかります。オリジナリティが抜きんでていると感じる。それは作品が、緊張感をまとっているからだと思います」
市川さんが担当するのは、1970年代のライティングビューロー(発売当時の名称は「ライティングスタンド」)と、トロリー(「ワゴン」)、1980年代のダイニングテーブル(「食堂テーブル」)。この日、ライティングビューローの脚の部分が削り終わったというので、それらをお披露目してもらうべく、お隣にある“休憩場所”に移動する。
休憩場所には、知人の作家による木工や陶器の作品、祭祀などの儀式で使われていたような民族楽器、工房の近くや知人のお店で収集した木の枝や実がところせましと並べられていた。工房とはまたちがった、小宇宙のような雰囲気。
「わあ、この小さいものはなんですか? かわいい……」
「これは、ライティングビューローの脚の⅓の模型です。本番用は、いつもつくっている作品よりも長くて、バランスも違ったので。模型をつくってみたら、この感じでよさそうだなと思ったので、本番用に4本削ってみました」
脚をくるんでいた半透明の梱包材から、できたてほやほやの、色の白い木の脚が姿をあらわす。
すごーい……。できてる……。これきっと、大変でしたよね……。きれい。すごい。すべすべ……。
ゆきさんと、企画を担当するカリモク家具の朝岡さん、カリモク家具本社の試作棟で制作を担当する深谷さんの、うっとりした声が響きあった。ブナ材を用いた、削り立ての木。木屑をまぶしてすべすべに仕上げられた、あたらしい脚。この4本の脚が、時を重ねたライティングビューローと出会い、カリモク家具の試作棟で組み立てられていく。
「どうしようかなあ、塗装いるかなあ。このままでもきれいですよね……」と、深谷さんがはなやかな声色で悩む。朝岡さんは、「すべすべだ……」とつぶやきながら、削られたばかりの木の脚を、うれしそうに、おだやかに、撫でている。生まれたての木の脚を囲みながら、人の手仕事で生まれたものには、ほんのわずかなパーツにさえも、こんなふうに誰かの想いが通り抜けた時間が宿るのだと、まのあたりにするようだった。市川さんは、削りながらなにを思っていたのだろうか。
「ひとつひとつのパーツに対して、自分がいいと思ったかたちを積み重ねていく感覚でやっているんです。以前、仏壇をつくる仕事についていたこともあるので、デザインの関連性に影響があるのかと言ってもらうこともあるんですけど、なにか具体的なインスピレーションがあるわけではなくて。ただ、なるべく用途から離れた、実用的じゃないもののほうにいきたい、という気持ちはあります」
もともとは、家具をつくる小さな工房で働いていた。その後、仏壇製作に携わり、再び家具づくりの仕事に戻った。いずれは独立したいと考えていたため、常に小さな工房で働きながら経験を積んできた。その過程で、今のものづくりにつながる気づきを手にしていく。
家具づくりも面白かったけれど、木を直線で削り出すことが多いなど、実用的なものにはどうしても制限が少なくないこと。いざ生活の道具を自分がつくるのであれば、ごまかしのない、使いやすい道具をきちんとかたちにしたいという思いが強い性格であったこと。ひとりで向き合い、完結するものづくりが向いているのではないかと思ったこと……。
そんな自分の性質や心のかたちに徐々に気づいていった市川さんは、今から約10年ほど前、よく通っていたというお店で旋盤に出会う。アメリカのガレージなどにおけるDIY文化においては馴染み深い旋盤も、まだ日本ではものづくりに使う人がそう多くなかった時期だった。そんな静かな制作環境で、必要な道具を必要なだけ手にして、木とじっくり向き合いながら、オブジェなどを軸にひとつひとつ作品を生みだしてきた。
「もともとオブジェが好きなのもあるんですけど、用途から離れたものづくりは、木を使って自由度が高くつくれるのが、やっぱり面白くて。カリモク家具さんのライティングビューローの脚は家具ということもあって、実用性を大事にしながらも、ぎりぎりのところを攻めた細さやかたちになるよう、削りたかったんです」
この話を聞きながら、ゆきさんが言っていた、市川さんの作品がまとう“緊張感”のことを思いだしていた。“自由”というのは、一見のびやかな響きだけれど自由であるためには、なにもかも自分の思い通りに好き勝手にやるわけでは、決してないのだろうということ。創作に限ったことではない。越えてはならない一線や倫理の境界、こうありたい/こうはありたくないといった、自分や誰かとの約束や祈り。その淵でいかに踏みとどまれるかということが、“自分たち”と“自分たち以外”を勝手にわけて、自らは利益を、他者には排除を求めるような動きが加速する世界のなかで、人間らしさを保つのひとつのよすがなのではないかなと考えることがある。
「家具をつくっていたことがあるからかもしれないのですが、実用性のあるものをつくるなら、しっかり実用性に向き合いたくて。それに今、用途から離れたものをつくりたいからといって、売るためにただ見た目ばかりをよく見せることはしたくないという気持ちが強くあります」
いざ木工家具をつくるならば、生活にしっかりとなじみ、手渡したあとも責任をもてるものを送りだしたい。用途に沿うための木の使い方に向き合ってきた経験と思考を重ねてきている市川さんだからこそ、木にも、人にも、真摯にいようとする。そんな人のつくるものには、どうしたって甘えのない、緊張感が宿るだろう。
「木は生きものじゃないですか。木を切ってものをつくっている自分ってなんなんだろうと時々思ったりもするんです。でも、生きているものだから面白いんですよね。そこは裏表で、考えすぎるとなにもできなくなってしまうんですけど……」
木を見るとき、「なんでこういう木目になったんだろう?」「どうしてこんなふうに曲がったんだろう?」と、木の歴史に思いを馳せるんですよねと、さらっと軽やかに、けれど愛おしそうに市川さんは言う。同時に、自分が作家として“面白い”と思う木目は、実は木にとっては傷を負った歴史の痕であることも多く、その矛盾を度々考えるとも話す。
自分はこんなふうに木に真摯であったことがあっただろうかとふと我に返って思う。個人的な話をすると、都心の速度で、オンラインの情報に囲まれながら暮らす生活が長いわたしは、木を当たり前のありふれたものだと思うあまり、あまりにも多くのものを見落としてきたし、今も見落としているのだろう。
市川さんは、木のことをよく知らないわたしよりもずっと、木のわからなさ、不思議さに驚き、悩み、面白がっている。「木目をじっと見て考えても、はっきりしたことはわからないんですけどね」と諦めたように笑いながら、一対一で、誠実に向き合っている。その話を聞けば聞くほど、“用途や実用性に縛られないもの”というこの日何度も耳にした言葉に込められているのが、表面的な装飾のためのオブジェをつくりたい思いからきているわけではないことがわかる。
──木を、よく見てほしい。人間にとって役に立つものとしてばかり見るのではなく。時間を重ね、生きてきた、同じ生きものとして水平に立ったとき、木と人はどう共に生きていくか──
木と人のなかで、長いこと問われてきているにもかかわらず、いまだに自分ごとになっていない、そんな問い。そこに一瞬でも思いを馳せてもらえたらという祈りが、市川さんのつくるものには込められているのではないかと、わたしは勝手に思ったのだった。
作品から受け取るものは、もちろんそれぞれであると思う。そのうえで、市川さんの作品を前にしたとき、少し時がとまったように感じられるのは、見た目だけではない引力が宿っているからであることはほんとうのことのように思う。“コスパ”や“タイパ”の価値観がこんなに浸透しても、実用性のみを重視してつくられているわけではない木工作品を前に、わたしたちの足は立ちどまってしまう理由。これはいわゆる生活必需品ではない。けれどこういうものは、生きていくうえで、心にとって、なくてはならないものなのだ。そしてこんなにも人の心を惹きつけるのは、これがやっぱり、わたしたちの生活のそばにずっとあり続ける、“木”でできているからだと思う。
「もう少し前であれば、人がつくったもののほうが好きだったんですけど、最近はどんどん自然の豊かさのほうに惹かれていっています。人間が生みだしてきたものも、もとを辿ると原点は自然のほうにあると思うようになってきたというか。若い頃は、自分をもっと表現したいなと思っていたんですけど、今は自己顕示とかもなるべくしたくないですね……(笑)」
作家とマテリアルの関係、作家と自己表現の関係には、それぞれに比較しがたい、ぬきさしならなさがあるだろう。だからどのあり方がいいとか、悪いとかは一概には言えないのだろうとも思う。そのうえで、この静かな工房で、アンビエントや懐メロの音楽をかけたりもしながら、たったひとりで、たった一片の木片と対峙するときの市川さんは、“自分が扱う木は自然や世界から受け取ったものなのである”、という謙虚さを手放さない。自分と同じ生き物である木を扱うにあたって、その葛藤も恵みもないがしろにしないという厳しい豊かさを背負える自分であろうと律しているような姿があった。それは、たやすく誰かを飲み込んだり、自分も飲み込まれたりしない、自然とかかわり合いながら、手仕事で培ってきた生を積み重ねてきたゆえの、魂の足腰のつよさだと思えてならない。だから木からも祝福されているように見えるのだろうと感じた。だから市川さんの作品は、どこにいても、だれといても、見失うことがない。見ているものの時をとめてしまうほど、光っている。
長田弘の「なくてはならないもの」という詩に描かれていたのは、木々を含む自然の、“なくてはならなさ”だった。そしてそれらがなくてはならない理由は、実用のためでなく、心にとって必要な美しさがそこにあるからだった。
なくてはならないものの話をしよう。
なくてはならないものなんてない。
いつもずっと、そう思ってきた。
所有できるものはいつか失われる。
なくてはならないものは、けっして
所有することのできないものだけなのだと。
日々の悦びをつくるのは、所有ではない。
草。水。土。雨。日の光。猫。
石。蛙。ユリ。空の青さ。道の遠く。
何一つ、わたしのものはない。
銃器の澄み切った日の、午後の静けさ。
川面の輝き。葉の繁り。樹影。
夕方の雲。鳥の影。夕星の瞬き。
特別なものなんてない。大切にしたい
(ありふれた)ものがあるだけだ。
素晴らしいものは、誰のものでもないものだ。
長田弘「なくてはならないもの」より(『世界は美しいと』/みすず書房)
“人の暮らしを豊かにするものづくり”に取り組むカリモク家具と、“木そのものを見せたい”と願い、用途から離れた場所へと向かおうとする市川さんの組み合わせは、実は一見、異色だと思う。けれど、木や森林の環境、特性に寄り添いながら、木との幸せな関係をわたしたちがあたらしく結びなおすという点で手を取り合っていて、だからこそきっと今まで見たことのないものが生みだされるはずだ。
たとえばライティングビューローやトロリーは、個別の用途に対応した道具よりも、包括的な道具が好まれる現代においては、使われる機会が少なくなっている。けれどだからこそ、木のものづくりを存分に鑑賞することへと意識を促す。同時に、かつての時代に愛されたその使いやすさに対する新鮮な発見もあるだろう。
木工作家として市川さんは、時に木を用途から解放し、たとえば木を星に変えてみたりだとかしながら、ありふれているゆえに見過ごされる木の存在を、これからもきっと、はっとするほどのありふれたすばらしさに変えていく。
しかしその歩みは、あくまでもたんたんと。山登りが好きだったという父がつけた岳人という名前のごとく、一歩一歩、山を登るように、今日も目の前の木を削っているのだろう。どこまでも実直。けれど同時に、「なんだかよくわからないけど、めちゃめちゃいいねというものがつくれるのが理想です」とうれしそうに語るように、想像可能なものを木でこえていく跳躍力が秘められている。
そんなものづくりだからこそ、この先いつか、星々の輝く場所にまで、辿り着いてしまうのではないかと、なんだか思うのだ。そこでは木が星のように輝いていて、市川さんが生み出したものとそっくり似た姿をした杢星が光っているのだ、きっと。
Words:野村由芽
Photo:濱田英明(ポラロイド以外)