「まどのむこうに」 記憶を編む セーター制作日記(7)
故事 | 2023/03/01
森山邸を訪ねた日、ゆきさんの鞄の中には、完成したばかりの2着目のセーターが入っていた。
「せっかくだから、森山さんに着てもらいたくて、編み上がったばかりのカーディガンを持ってきたんです」
「ちょっと、恥ずかしいですね」と、森山さんが照れくさそうに笑う。「普段は洋服、ほとんど買わないんです。お金があると、本かDVDを買ってしまうので――男の人が着ていいんですか?」
「このカーディガンはユニセックスなので、大丈夫です。それに、アランセーターはもともとフィッシャーマンのニットだから、恥ずかしくなんてないですよ」。ゆきさんにそう言われて、森山さんはカーディガンに袖を通す。「似合います。後ろ姿も素敵」。ゆきさんがそう語ると、カメラを構える木村和平さんも「うん、良い。白いニット、かなり似合います」と同意する。
あたらしく編まれたセーターの袖には、箔が押されていた。
これまでYUKI FUJISAWAが手掛けてきた「記憶の中のセーター」には、箔が押されていた。誰かの記憶が詰まったヴィンテージのセーターが、別の誰かの手に渡って新しい記憶が重ねられていくように、セーターに箔を押してきた。今回、いちからセーターを編むにあたり、箔を押すべきかどうか、ゆきさんはまだ迷っているようだった。
「最初は、どの色の箔が押せるのか、お客さんに選んでもらえるようにしようかと思ってたんです。オーダーメードで好きに作れるのが楽しいんじゃないか、って。でも、ちょっと考え直したんです。このセーターを買いたい方は、私がデザインしたものが欲しいのだから、『このセーターにはこの色の箔が似合います』と自信を持って提案するほうが嬉しいんじゃないか、って」
「ああ、それ、ここの建築もそうなんです」と、森山さん。「西沢さんに設計をお願いするときも、僕から余計なことは言わなかったんです。もう、好きなようにやってもらったほうが嬉しいですよね」
テーブルの上に、陶器のボタンが並べられる。今年のニットに向けて作られた陶器のボタンは、青や白、ピンクにグレー、茶色に緑色と、さまざまな色に焼き上げられている。今年のオーダー会では、お客さんに自由にボタンを選んでもらいたいと、ゆきさんは語っていた。ただ、「どれでも自由に」だとお客さんが悩んでしまうかもしれないから、おすすめのセットを作っておきたいのだと、ゆきさんは言う。
「森山さんだったら、どのボタンを選びますか?」
「同じような色でも、よく見るとひとつひとつ違うんですね」
「そうなんです。釉薬のたまり具合に表情があって」
「どうしよう。じゃあ僕は、ばらばらの感じで」
「かずへりんは?」
「僕はもう、最初に見たときから決まってます。一個だけピンクにして、あとは全部グレー」
「ちょっと、冷たいお茶でもお出ししますね」。ボタンを選び始めてしばらく経ったところで、森山さんはお茶を運んできてくれた。ゆきさんが手土産に買ってきたパンと、森山さんが出してくれたお茶菓子がテーブルに並んで、ちょっとしたティーパーティーのようだ。「もりやまていえいとう」のリビングに置かれているのは、マールテン・ヴァン・セーヴェレンがデザインしたテーブルだ。
「藤澤さんのところには、元木大輔さんがデザインした棚があるんですよね?」
「はい、アトリエにあります。あまりにも大きいから、買ったとき不安だったんです。もしもいつかアトリエをお休みする時期がきたら、自宅に入らないな、って。置いておける場所がなくなったらどうしようって思ってたんですけど、森山さんちがありましたね」。ゆきさんがそう言うと、「いつでも待ってます」と森山さんは笑った。
こうしてA棟を案内してもらっているあいだ、どこかから音が響いていた。『VISIONARY SOUNDTRACK BY TOWA TEI』に収録された「INCENSE」だ。どうやらその音は地下から響いているようだった。A棟には地下室があり、そこはオーディオルームとシアタールームを兼ね備えたような空間になっていた。壁面には映画のDVDやレコード、CDアルバムや書籍がずらりと並んでいる。ここでも本は背表紙が見えないように並べられていた。
本が積まれた壁面には、ゴダールの映画『勝手にしやがれ』のロシア版のポスターが貼られてある。ファインダー越しにその壁面を見つめていた木村和平さんが、「森山さん、もしかしてこれ、本の傾きに合わせてポスターも傾けてます?」と尋ねる。
森山邸をよく観察していると、随所にモノが配置されてある。「もりやまていえいとう」の地下室へと続く階段のあたりには、ちいさな「招き猫」が並べられていたし、棚にも猫の置き物が配置されていた。藤澤ゆきさんと木村和平さんが猫好きだからと、猫の置き物を並べておいたのだという。
森山さんは最近お気に入りだという「離れ」(森山邸C棟)にも案内してくれた。そこには黒く染め上げられた木製の椅子が置かれてあった。能登のヒバを切り出し、古くから木造外壁に用いられてきた松煙と柿渋の混合液で染め上げた作品だ。昨年末に東京・青葉台の「LICHT gallery」で開催されていたSiin Siin「Zui Conn」展で買い求めたものだという。
細部に至るまで意識を張り巡らされ、モノが配置された空間というのは、時に緊張感を与える。でも、森山邸には不思議な心地よさがある。それは、ひとつには、些細なモノも空間の中に配置されていることも理由としてあるのだろう。ふとテーブルに視線をやると、食べ終わったヨーグルトの容器に植物が挿してあったり、誰かが忘れていったカメラのフィルムが配置されてあったりする。そういった遊び心も、開放感を感じさせているのだとは思う。でも、それだけでは説明のつかない余白が、居心地のよさを生んでいるように感じられる。
「わりと飽きっぽい性格なので、買ってきたモノをいろんな場所に置いて、試してみるんです」と、森山さんは言う。「うちはもともと、酒屋をやっていたんです。昔の酒屋って、居住空間にも段ボールで商品が並んでて、それがすごく嫌だったんですよね。その反動で、自分の勉強机には自分の好きなモノだけ並べてました。2階に自分の部屋があったんですけど、銅版画や本にひかりが当たって褪色するのが嫌で、雨戸も閉め切って生活してましたね。今はもう、別に褪色してもいいやって思えるようになったんですけどね。やっぱり、モノが好きなんでしょうね。嫌だったら全部外に出しちゃえばいいんでしょうけど、紙自体が好きなんで、紙が見えてると落ち着くんです。モノを減らしてみた時期もあるんですけど、ミニマルな空間だとどうしても駄目なんですよね」
森山邸に配置されているモノは、ひとつの場所に固定されることなく、たえず動いている。だから風通しがよく、居心地よく感じられるのかもしれない。
「画家のモランディも、花瓶をちょっと動かしただけで一日が終わってたって言いますけど、その気持ちが少しわかるような気がします。ちょっと動かしただけでも、本人にとってはすごく違って見える。だから、ちょっとモノを動かしているうちに一日過ぎちゃうんですよね」
森山さんは年に数えるほどしか出かけないのだと、ゆきさんが教えてくれた。たしかに、10棟から成る森山邸にモノをどう配置しようかと考えていたら、あっという間に一日が終わってしまいそうだ。森山邸が完成して17年が経過した今も、森山さんは「この建物をどう読み解こうか?」と日々考え続けているのだろう。
「ローンを返し終わったら、ひとりで住むことになるので、それを考えたら眠れなくなっちゃうんです」と、森山さんは笑う。「お気に入りの場所は、季節によっても変わってくるんです。人が住めるとこは7棟あるので、毎日違う棟で過ごせるんですよね。そう考えると、『あの場所では雑誌しか読まない』とか、部屋ごとに縛りがあったほうが面白いんじゃないか、って。そういうことを考え出すと、眠れなくなっちゃうんです」
森山邸には不思議な余白がある――新作の発表を森山邸で開催することにした理由を尋ねると、ゆきさんはそう語っていた。あの空間だけでも面白いし、森山さんとお話をするとなお面白い、と。
「YUKI FUJISAWAを始めたばかりのころは、いわゆるホワイトキューブの空間を借りて、自分の作品を並べたこともあったんです。一般的な展示会場だと、お客さんに見てもらいやすくはなるんですけど、面白さを感じなくて。それに、そもそも衣服って普段はクローゼットの中に置かれていて、人が着ることで完結するものだと思うんです。ホワイトキューブの空間に服を並べるのは、そこには生息していないモノを無理やり連れてきた感じがしちゃうんですよね。でも、前に原美術館でプレゼンテーションをしたときは、そうじゃない感覚があって。あそこはもともと原さんのおうちだった場所だから、人が暮らしていた痕跡が感じられたんです。自分の中で森山邸と原美術館がリンクするところがあって、ここでお披露目会をしたいと思ったんですよね」
窓の向こうを、人が通り過ぎてゆく。そこには路地があり、近所の人たちが行き交っている。もりやまていえいとうのリビングに佇んでいると、町の気配が感じられる。
「ここから人が行き交うのを見てるだけでも楽しいんです」。森山さんは窓の向こうを眺めながらそう語っていた。「酒屋だったときも、こっち側に開かれていたから、ずっとおんなじ景色を見ていたんです。海や山に囲まれた場所もいいなと思うこともたまにあるんですけど、山奥に自分ひとりでいるよりは、人の姿が見えている場所のほうが好きですね」
親から酒屋を引き継いだときは、今のリビングのあたりに帳場があり、森山さんはそこから通りを眺めていた。酒屋ではなくなった今も、森山邸は通りに向かってひらかれている。そこからやってくる誰かを、ここで待っている。
Words 橋本倫史
Photo 木村和平