なんでもつくろうとすること。木彫作家“うまのはなむけ”のアトリエへ(前編)
故事 | 2024/02/16
身ひとつで、しんしんと豊かさをつくりだす人の暮らしがある。
もしも神さまや魔法使いが自分に見えるとしたら、きっとこういう背中が見えるだろう。ほんのかすかに、見えるだろう。
東京で春一番が吹いた翌日のこと。ゆきさんの運転する車の窓から、吉備の町並みが流れていくのを眺める。細いけれど、どうどうと躍動感のある川が流れている。たまに顔をだす太陽の光が、クリーミーな緑色をした冬の木々のあいだをぬって射し込み、山あいの土地を流星のようにちらちらと照らして思わず見入った。天然のプラネタリウムを昼間から見ているみたいだなあと思う。
このあたりなはず、と車と停めて家を探しに行ったゆきさんが、くるくると周りを見わたしていると、ミルクパン色をした犬が宙を飛んだ。わたしは人間以外のどうぶつだと猫と金魚としか暮らしたことがないので、のちにクルフィーという名だとわかる犬が、からだじゅうバネであるかのように力いっぱい飛び跳ねることに目をひらき驚いた。クルフィーを連れているのが、YUKI FUJISAWAの2024年のアランセーターのボタンを手がけた、“うまのはなむけ”こと、木彫作家の神崎由梨さんである。
「うまのはなむけ」という言葉には、旅立つひとの前途を祝して、贈り物をしたり、宴をしたりして送りだすという意味がある。ゆきさんの制作の歩みは、「旅」というものとわかちがたいなにかがあるのかもしれない。由梨さんとクルフィーが、ダンスするようにからだをあずけあってゆきさんの旅の到着を歓迎している姿を、わたしと真澄さんは車のなかから眺めた。そうやって由梨さんのおうちに、わたしたちは到着した。
山あいにある自宅兼アトリエは、由梨さんと、同じく木を扱う作家である夫の植月大輔さん、そしてクルフィーの、ふたりと一匹暮らし。背の低い木の柵を開き、小道を通って庭へと招いてもらう。「この赤いのは、南天ですか?」「そう、南天ですよ」「土にたくさん落ちているあの鮮やかな木の実は?」「あれはかりんですね」。あれは、これは、といくつも質問が浮かぶ。
ひとつの記憶を思いだす。わたしの父方の祖父母の家には、庭に柿の木や栗の木があって、畑で野菜も育てていたな。けれど子どもの頃は、都会的なものにばかりに夢中になって、その庭を「見慣れた風景」だと、わかったつもりになって、深く知ろうとはしなかった。
庭や畑の維持がどれほど胆力を必要とするものだったか、天気の行方や植物の状態を暮らしの真ん中に据えて生きた祖母の営みが、どれほど地に足のついた知恵に支えられていたか。いまでも詳しくはわからない。けれど、自分が知るよしもない、たっぷりとした知恵のなかで祖母が生き抜いたことへの敬意を、伝えられるうちに伝えられたらよかった。
そんな想念にひっぱられはじめればきりがない。けれどたしか、ある研究者が、「窓の外の風景を眺めていたとしても、半分ぐらいは別のことを考えているものだ」というようなことを言っていた。生きているということはいつも、わたしと世界が混じり合う現象の一瞬一瞬の積み重ねだ。
母屋、食卓と台所のための小さな建物、アトリエとして使っている小屋などが、てん、てん、と建っている。太陽の光がからだを適切にあたためるような昼は、あるいは虫の声や星の光が劇場の主役になるような夜は、ここで軽いものを食べたり、お茶やお酒を楽しんだりするのだろうか。そんな景色を勝手に想像したガーデンチェアとガーデンテーブルのうえには、屋根のように覆う蔦が。実はここに先日までキウイがたんとなっていたと知って、めまいがしたのは数時間後のこと。
「食事にしましょうか?」
由梨さんが声をかけてくれて、台所と食卓のある小さな建物におじゃまする。もちろん、クルフィーも一緒に。とても楽しみにしていた、昼食の時間。
「わあ……」
ゆきさん、真澄さん、わたし、それぞれの声が、ため息まじりに漏れた。どうしてか、生まれた日のことだって思いだせそうな手彫りの美しいスプーン、遠い国と時代を想像させる岩や牛の絵画、蝶の標本、目覚めたときに「これがひとつの国です」と言われたら納得してしまいそうな複雑な模様の貝殻や鉱石、人間も悪くないと思える愛すべき表情の陶器の人形……。
薄い花柄の壁紙がやわらかな印象をいきわたらせる室内に、世界中から集めてきたオブジェや、由梨さんたちが自らの手でつくったものがないまぜになっている。ところせまし、けれど不思議と、澄んだようす。自分の心を本当に動かしたもの、あるいは動かすかもしれないものを、選び抜くことを手放さないという生きる気概のようなものが、初めてこの場所を訪れたわたしの心臓を鳴らす。
吹けば飛びそうな古いもの、生き物の命の気配を残すどこかあやうさのあるもの、そういった夢や幻のようなものをこつこつと集めて自分たちだけの空間をつくることは、注意深い繊細さと、大胆なしなやかさがなければできないことだ。
食事は、人参のグラッセにマスカルポーネチーズを添えたもの、豆のほろりとした食感が効いたセロリと豚肉のスープ、キッシュ、吉備のパン屋で買ったパン。そして湯気。この部屋では、湯気が見えて、それが心から離れなかった。スープをお皿によそうときの湯気。いただきますの前にたちのぼる湯気。お湯をわかすときの湯気。
「いろんな意味であったかい」とゆきさんが言っていたけれど、おいしさやあたたかさというのはきっと、味や温度単体で測れるものではないのだということにこの空間ではっと気がつく。かんかんのエアコンでからだはあたたまるけれど、湯気は記憶のなかの「あたたかさ」も一斉に連れてくる。心ごとめいっぱいあたたまる。
「夢の中では、光ることと喋ることは同じこと。お会いしましょう」という穂村弘さんの短歌があるけれど、目であたたかさを感じ、抱きしめた肌触りから声が聴こえるようなときに、からだは喜び、生きてる心地がすることがある。感覚さえも分業ではない、という言葉がふと頭に浮かび、この言葉は、由梨さんのところに滞在しているあいだじゅう、考えることになるのだった。
食後を終えて、腹ごなしに吉備の周辺の散歩に出かけた。みんなでYUKI FUJISAWAのアランセーターを着て、バラクラバもかぶったら、同じ童話か、はたまた演劇の登場人物みたいになって、愉快で笑った。さすがにお揃いすぎるかな? と、バラクラバをかぶるのはやめたけれど、その光景のチャーミングさが焼きついて、たぶんこういうなんでもない一瞬をずっと走馬灯のように忘れないんだろうなと思う。アランセーターのDonegal Yarnsの毛糸は、いろんな色のネップが粒々とまじっているから、どの風景にもどの服にもよく似合い、箔のきらめきは曇り空までひとっ飛びできそうな天使の羽みたいだ。
川が流れるのを見たり、コンクリートを歩いているときには目をとめることのない枝を拾ったりしながら歩く。木が神輿のように組まれていたので、「あれはなんですか?」と聞いたら、「近所の人がしいたけを栽培してるんですよ」と由梨さんが教えてくれた。
のちほどそれが、「原木栽培」という方法だと知ることになるのだけれど、初めて見るそのしいたけの育ち方はあまりに野生的で堂々としていてかっこいい。しいたけの立派さをまのあたりにして、大いにしいたけを尊敬した記念日になったかもしれない。煮物に鍋に出汁に。日々こんなにしいたけにお世話になっているのに、どう育っているのかも知ろうとしてこなかった自分のたよりなさに、ありていな話だけれど、つくる過程と消費する行為の隔たりを思うのだった。
「山あいだから、このあたりは夕日なども入らなくて少し暗いんですよ」と由梨さんに教えてもらい、この日はまだまだ冬の匂いを残した肌寒い日である。アトリエに招き入れてもらう。窓が大きく、外とのつながりを感じる使いやすそうなアトリエは、もともとはぼろぼろだった小屋を自分たちで修繕し、ガラスをはめ込み、白色のペンキを塗り、よみがえらせ、使っているのだそう。
窓に向かって据えられた作業机。そこには、大きさもかたちも少しずつ異なる彫刻刀やノミ、刷毛といった仕事道具や、ヴィンテージの紋様や意匠、シンボルにまつわる書籍などの資料が置かれていた。窓辺には貝殻が並べられていて、外と内の境界に、大切なものを並べるのはいいなと思う。亀、天使、人間、スプーン、木型、クルフィとおぼしき犬……木から彫りだしたつくりかけの作品が、アトリエのあちらこちらで命が吹き込まれるのを待っている。
『「つくる」力を、自分の内側にたずさえて。木彫作家“うまのはなむけ”のアトリエへ(後編)』へつづく