東京都現代美術館POP UP✧12.21〜

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アランセーターお披露目会に向けて。夢のような一日を

故事 | 2024/01/10

過ぎた日のことを思うとき、それが本当にあったことなのか、自分だけがみた幻なのか、わからなくなることがある。たとえばこんな記憶のこと。わたしは子どもの頃、長いエスカレーターのある、ネオン色が壁や天井に反射しあうとある店にいて、そこはロブスターを食べさせる店だった。Kという市のふとい道路沿いにあった。父と母と、夜光虫の波の絨毯に包まれたような青光りする店内で、あかあかと燃える大きなロブスターの白い身にかぶりついた。

色のコントラストの迫力と、ロブスターを手にする子ども姿の自分を何度も思いだす、けれどその店には行ったことないし、そのような店はそもそもないと父も母も言うのだ。そんな。わたしが、間違っているのだろうか? けれど、「本当には」なかったとしても、夢のような一日の記憶を否定することは、誰もできないだろう。わたしは30年以上忘れることなくこの記憶を保ち続け、こうやって時々思いだす。この記憶が好きなのだ。肩書きだとか、得意だと思っていることだとか、そういうなめらかに説明できることだけなく、夢のように曖昧な一日の記憶を持っていることこそが、なんだか自分を自分でいさせてくれるような気がしているからかもしれない。

というようなことを考えるとき、誤解をおそれずに口にするなら、YUKI FUJISAWAも、夢のようだと思うことがある。もちろん、たしかに存在するものである。それどころか、ものづくりの過程のどれもに唯一無二の物語があり、たやすく流されない信念の厚みは、夢という言葉の儚さからは遠いものだとも感じている。そばにいる時間が増えるほど、ひとつひとつの判断に重ねられた思考のたしかさを深く眩しく思う。それでも「夢のようだ」と思うのはなぜなのだろうか。

1月上旬のある日、ゆきさんのアトリエには、今年のアランセーターお披露目会で発表予定のアイテムたちが、形になる前のかけらの状態で並んでいた。

まず飛び込んできたのは、たっぷりと巻かれた、アイルランド産のDonegal Yarnsの毛糸たち。昨年の旅の道中、ヨーロッパの国々の光や自然のなかで毛糸の見本帳をかざしながら色の組み合わせを選び、オーダーしてつくってもらった2024年のアランニット用の毛糸だ。

「光が透けた薄曇りの空色、18世紀の建屋の木壁のベージュ、秋に向かう針葉樹のモスグリーン、夜のバルト海の静かな藍色ーー」

ゆきさんは選んだ色をそう表現する。詳しく聞けば、バルト三国で訪れた民族博物館の土や壁の色、秋になりゆく北欧の木々の緑色、エストニアからフィンランドにフェリーで向かった夜の海の色、などが投影されているのだった。

いわゆる「きれいな色」というよりは自然の粒が混ざった色、それが今年のアランセーターに合うと思ってーー。粒々のネップには見逃せないかわいさがあり、旅の思い出の断片が混じりあった糸には、束の間、立ち止まってしまう奥行きがある。

「旅から帰ってきた後に色を決めて、11月に工場に発注して。仕上げに9週間かかるという話だったので、お披露目会を4月頃に延期しなければと思っていたんです。でも、実際は2週間ぐらいで送ってくれたんですよ。たぶん、実際に工場に行って、職人さんたちとお会いしたこともあると思うのですが……おかげで奇跡的に、間に合うことになりました」

アトリエの壁には、2024年のアランニットのラインナップの一覧が貼り出されていた。見てみると、ニット帽、プルオーバーにくわえて、「襟つきのセーター」「ベスト」「新しいボタンのカーディガン」が新たに仲間入りするとわかる。そのどれもが、Donegal Yarnsの糸を使って、編まれていく。

「去年発表したカーディガンやニットも、Donegal Yarnsの特徴にあわせた編み方を、ニッターさんと試行錯誤しているところです。新しくつくるベストはサイドが開くようになっていて、ボタンでとめる仕様にする予定。去年、仲のいい友人が子どもを産みました。ずっとそばにいた親友のお腹がだんだん大きくなっていく姿を見ていたんです。身のまわりにいる大切なひとの変化に向き合いながら、こういう服があったらいいなと感じた気持ちも、反映されています」

1月からアトリエの隣の区画で工事が始まり、太陽の光の入る時間が僅かになってしまって、と取材前に聞いていた。冬のこの季節なら午前中なら明るいはずだから……。そうやって決まったのがこの日の待ち合わせ時間だった。わたしたちのすべては、変わっていく。心もからだも環境も、大切なものごとも。変わりゆくものを招き入れるための、揺らぎをふっくらと包み込むニットがきっと、今年も生まれるのだろうなと思う。 

「この木型、よかったら見てみてください」

声を弾ませたゆきさんのほうを振り返ると、手のひらにおさまるほどの木型が目に入った。花瓶にいけられた花、鱗のある魚、馬、人とひつじの出会った一瞬、などが、いまにも歌いだしそうに愛らしく、いきいきと手彫りされているのだった。

「木彫作家さんに、今年の陶器のボタンの型作りをお願いしたんです。"うまのはなむけ"という作家名で活動している神崎由梨さんという方で、由梨さんに昨年の旅の写真をお見せして。バルト三国で食べた蜂蜜をモチーフにした、ハッチ(蜂)も彫られていますよ。全部で12種類の模様があるんです」

親しい友人でもある、音楽家の青葉市子さんを通じて知ったという うまのはなむけさん。ボタンの穴に毛糸を通したときの見え方にもこだわったそう。

「本当に素敵だから、1ミリも絵柄を削りたくないという気持ちがあって……。でもボタンだから穴を開けないことには、と考えていたところ、由梨さんがすごく工夫してくださって。穴に糸を通すとお花にリボンをかけたように見えたり、ひつじさんにマフラーを巻いてあげているように見えたりするように、つくってくれたんです」

ふっくらと笑いながらも、思いがけないこともあったという。

「ひとつのボタンをつくるのに、想定していた3倍以上の時間がかかっています。模様がとても繊細だから、粘土に型押ししたときに崩れないようにするのに注意が必要なんです。本当に素敵だからこそ、大事に大事につくりたい」

友人や家族にもボタン作りを手伝ってもらい、なんとか納得のいくかたちでお披露目会に間に合いそうだと安心した笑みを浮かべた。 うまのはなむけさんの模様には、生き物の、生きている不思議のようなものがまるごと彫り込まれているように思う。表面的な愛らしさだけではなく、ひとつひとつの生の物語への敬虔のようなものが。

色あいもかたちも同じものはひとつとして存在しない うまのはなむけさんの陶器のボタンは、オーダーしたセーターにあわせて好きなものを選べるようにするほか、今年の秋にはボタンひとつから持ち帰ってもらえるようにしたいとのこと。会場となる「もりやまていていあいとう・えいとう」にボタンがちりばめられた姿を想像するだけも、生きる手触りがおしよせてくるようだなと思った。

今回のお披露目会の後には、ブラウスやワンピースの制作も計画中だ。手刺繍のほどこされたヴィンテージのファブリックや、お付き合いのあるハンカチ屋さんが「ゆきさんが好きそう」だからと、資料用に何十年もためてきたものを譲ってくれたレースのハンカチをパッチワークにして、アランセーターに似合うファッションを提案できたら、と考えているそう。

ここで、気になっていたことを尋ねてみる。

「エストニアのミトンの話、聞きたいです」

前回の「旅の話」を聞かせてもらったとき、ゆきさんが熱を込めて話していたのが、エストニアの手仕事の文化との出会いだった。エストニア民族芸術・手工芸品組合の会長のLiivi Soovaさん、大学で教えながらニットの仕事もしているRiina Tombergさんとお茶をして、エストニアのニッターさんたちにミトンを編んでもらえないか相談したというところまでが、制作日記で書いていたことだった。

そして「旅の話」の取材の後、わたしはゆきさんと韓国に旅をした。その最終日、朝3時起きで空港に向かわなければという早朝、眠れなかったことを思わせる厚いまぶたをしたゆきさんが、「エストニアのRiinaさんからメールがあって。編んでくれることになったんです」と話していて、その興奮は糸電話をしているみたいに、ふるえながら伝わってきた。韓国から日本に戻る、夜と朝のあわいに、エストニアから届いた未来の約束。複数の時間と場所が交差した魔法的な瞬間は、やけに強く脳裏に焼きついている。ホワイトチョコレートがかかったポッキーの甘さが、空港までの深夜バスのなかでひどく鮮やかだったこととセットで、これからもわたしはたぶんずっと覚えている。

「ちょうど昨日ぐらいに、“できたよ〜!”というメールをもらいました。Riinaさんのふたりの元生徒さんが編んでくれていて、“こんな感じはどう?”“これは素敵だけどもう少しこうしたいな”といったやりとりをしているところ。エストニアの工芸の紹介ができたらいいなと思っていて、伝統的なミトンのモチーフをリサーチしながら編んでもらっています」

ゆきさんから見せてもらったエストニアの伝統的なミトンは、あまりほかで見ないような編み方で、一朝一夕では辿り着けない時間の堆積を感じた。ミトンは現在6種類完成しているそう。伝統や文化を伝えるため、基本的にはそのままお披露目する予定だが、一部の白色のミトンに関しては、エストニアの雪をイメージして銀箔をのせるのはどうだろうか? とRiinaさんたちとも相談中。旅の記憶を紡いでいく、パッチワークのような共同作業がかたちになるのが、心から待ち遠しい。

遠い国からやってきたもの。時間をこえてここにたどり着いたもの。地理的にも、時間的にも、長い旅をしながらも生き延びた繊細な手仕事の痕跡と、それにたずさわった人たちの暮らしや想いの記憶。YUKI FUJISAWAのものづくりは、別の場所にたしかにあったものごとの断片がつなぎ合わされ、組み合わされ、コラージュやパッチワーク状の物語として再構築される。それが夢に似ているのかもしれなかった。

けれど、眠りながらみる夢とちがうのは、その夢をつくるひとがいるということなのだ。夢のような一日は、魔法の杖をひとふりして生まれるわけではない。遠くまで旅をして、間に合わないかもしれなくて焦ることもあれば、思った通りに進まないこともままある。そのことで頭がいっぱいになってしまって眠れずまぶたを腫らすこともある。

わたしたちはそれぞれの持ち場で、そんなふうにほとんど光のあたらない準備をし、束の間の一瞬、夢のような、と呼べる時間を共に過ごし、交換しながらなんとかやってきたし、これからもそれを繰り返していくのだろうなと思う。夢のような時間は、ほんの一瞬のできごとかもしれない。再び生活に戻ってゆく。けれどさまざまなことが変わりゆくなかで、これから先にどんなことがあっても、誰からも奪われることなく、自分が自分であることを深い場所から支えてくれるものだ。

……と、夢だったかもしれないロブスター屋の記憶と、夢のようなYUKI FUJISAWAのものづくりを、自分勝手に重ね合わせた。この日記を書いているいまも、いつか夢のように、幻のように、懐かしく思うだろう。

2024年3月のアランセーターお披露目会、きっとどの人にとっても、夢のような一日を。

Words:野村由芽

Photo:石田真澄

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