東京都現代美術館POP UP✧12.21〜

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「本当の願いや祈りが込められた服」アイルランド・帰国編:旅の話(3)

STORIES | 2023/10/21

旅の終盤にエストニアでかかったエンジンは、旅の行先も変えてしまった。

「エストニア滞在中に、はじめに話したアイルランドのDonegal Yarns(ドネガルヤーン)の工場の方からメッセージが届いたんです。“わたしたちの糸をインスタに載せてくれてありがとう! よかったらいつでも工場見学に来てね”って。すぐに、“いまヨーロッパにいるから来週行っていいですか?”って返事をしました。エストニアの後はフィンランドに行って旅を終える予定でしたが、急遽、行き先を変更したんです」


 

【2023.10.1-10.5 アイルランド】

 

アイルランドの首都・ダブリンを経由して、ドニゴール地方にあるDonegal Yarnsの工場へ。Donegal Yarnsの毛糸は、アイルランドでハンドニットを取り扱うO'Maille(オモーリャ)というショップを営むAnneさんから買ったもので、Anneさんとの出会いは初めてアラン諸島を訪れた約9年前までさかのぼる。その頃からAnneさんは、アラン諸島のニッターさんたちを紹介してくれるなど、よくしてくれたそう。

その縁あって、工場で毛糸ができるまでの工程を見せてもらえることに。

 Anneさん一家と photo:YUKI FUJISAWA

 

Donegal Yarnsのおおまかなつくりかた〜

1.大きな釜で、自然のままの羊毛(毛糸になる前のわた状の羊毛)を染める。
2.染めたわたを乾かす。
3.ブレンダールームで、単色で染められた数色のわたをブレンドする。
4.ブレンドしたわたに、オイルを混ぜることを2回ほど繰り返すと、色がミックスされたふわふわの羊毛になる。
5.ふわふわのわたあめ状の糸を、均一なお布団のようにのばしてボビンに巻く。
6.ひもに撚りをかけて1本の毛糸に紡いでいく。

「サンプル用にたくさんのDonegal Yarnsを買って、アランニット用につくりたい毛糸の色を検討しているところです。異なる色の羊毛を紡いでもらい、オリジナルカラーの毛糸をオーダーすることができるので、可能性は無限大なんです」

 

ブレンダールームで混ぜ合わせられた羊毛

 

 

まだ最終的な毛糸に仕上がる前段階のわた。右下に写っているのは工場の様子。工場にある機械はどれも長年使われてきたもので、100年は現役とのこと。

 

工場見学の翌日に訪れたアイルランド国立博物館でも出会いが。「アランセーターの資料には必ず掲載されている」とゆきさんが語る、本のなかでは何度も目にしたという有名なアランセーターの実物に初めて対面。

「アラン諸島では、ニットが工業化し始めた頃に、技術のある人を集めてセーターコンテストを開催していたことがあって、そのときの作品なんです。アイルランドでいまも手編みのアランセーターを扱っているのは、AnneさんのO'Mailleと、ダブリンにあるCleoというお店ぐらいだと思います。現地のお土産店では安価なマシンニットなどが増えているみたいで、Anneさんは残念だと話されていました。
けれど、1938年からお店を続けてきたAnneさんのO'Mailleも、継ぐ人がいないのでじきに閉めるそうなんです。カルチャーセンターのような場所でニットを教えることは続けるようなのですが、アランニットというものを長年継承してきた方がいなくなるのは、寂しく思います。」

買い集めてきたものたちをつめこんだトランクがロストバゲッジしたものの、無事に家に届けられるという大冒険を経て、ゆきさんの1ヶ月にわたる旅は終わりを迎える。おかえりなさい。

なにかを得ようと思ってはじまった旅ではなかったけれど、日常に帰ってきたゆきさんのもとには、旅の前には関わりを持たなかったたくさんのものが手渡されていた。その風景や記憶をどうやって次につないでいくか、考えているところなのだという。

「2024年のアランニットは、Donegal Yarnsの糸を使って2023年に発表したセーターをもう一度つくるのと、手編みのベストとプルオーバーを新しくつくろうかなと思っています。それと、エストニアのミトンのアイデアがかたちになったらすごくうれしい」

ゆきさんは続ける。

「バルト三国のミトンは、もちろん実用性と合理性があるのですが、同時に防寒具を超えた文化があって、それがおもしろかった。寒い冬だけじゃなく、夏もベルトにミトンを挟んで持ち歩いていたそうなんです。結婚式で花嫁が親しい親戚やパーティーに来てくれた人たちに自分でつくったミトンを配ったり、葬儀の習慣として、命を終える前に、お墓を掘ってくれる人や、体を洗ってくれた人のためにミトンを編んだり。人生の最後には、自分でつくったミトンが、棺のなかの自分の手に置かれたそうです
そういうものを見てきて、いまの東京や日本で暮らす人の営みから湧き出るデザインやかたちってなんだろう? と考えているんです。東京であれば、こんなにものがたくさんある都市で、これ以上なにが必要なのだろう? どんなものづくりのかたちがありえるだろう? って。それで思ったのは、自分の心を落ち着かせるような服、余白のある服がつくれないかということで」

ゆきさんが口にした、「余白のある服をつくれないか」という言葉。それはきっと、実用的でありながら、実用性を超えた、生きることを見守る力をくれるような服のことなのだろう。

余白のある服という言葉を聞いて、ふと個人的な記憶が蘇る。春、YUKI FUJISAWAの森山邸の展示があったとき、わたしは心身の調子が大丈夫ではなかった。仕事が立て込んでいたことが大きいと思うけれど、いつものように息をすることも難しくて、コントロールのきかないからだが苦しく、自分が自分でないみたいだった。

そんなときにもりやまていに足を運んで、そうしたら少しずつ回復していったのだった。ほのあかるい光の止まり木みたいな白色の建築、そよそよと気持ちよさそうに風をあびるYUKI FUJISAWAのセーターやボタンをはじめとして、その空間には、ほかでもない自分の心のおもむくままに、世界中から選び抜かれた愛らしいものばかりが息がしやすそうに並べられてて、そのおだやかな呼吸が聴こえてくるみたいだった。

帰宅後、わたしは「時間的、空間的な余白。深く、ゆっくり呼吸をする」と書いた紙を部屋に貼って、それを眺めながら日々をやりくりし、少しずつ自己回復していった。いまでも焦りそうなときは、あの余白を思い出す。助けられた、という感覚がある。

「深く息ができる服がつくりたいと思いました。おまじないというか、なにか祈りを吹き込むみたいな。それが、次のニットでできるといいなと思う。でも、このニットにはすごく力がありますって言われても、たとえばここがエストニアで、本当に100年前からそう言い伝えられてきたことであれば信じられるけれど、急にここで差し出すのは難しいですよね。本当の思いを込めて伝えるにはどうしたらいいか、考えています」

もうひとつ、思い出した言葉があった。

 

——想い出すのも嫌な自分がそこにいる。自分は何ができるのかということばかりを考えて、何をなさねばならないのかをほとんど考えていなかった。心は自分の願望で一杯だった。成し遂げたいと思うことで心は埋め尽くされていた。
一見すると希望に溢れたもののように見えてもそんなとき人は、人生の問いから遠いところにいる。人は、自分の声が聞こえなくなると他者からの声も聞こえなくなる。
祈ることと、願うことは違う。願うとは、自らが欲することを何者かに訴えることだが、祈るとは、むしろ、その何者かの声を聴くことのように思われる。
(若松英輔『悲しみの秘義』p3,4 文春文庫,2019年 ※単行本 2015年11月 ナナロク社刊)

 

ゆきさんがしてきたのは、手仕事の声を聴く旅だったのではないかと思い当たる。なにをするためでもなく旅に出て、旅先で出会った人たちの暮らしの営みから生まれた手仕事に宿る声に耳を澄ませ、それをつくった人や、つくられた時間のことを思う。たとえば、暗闇のなかでオーナメントをつくったその人のことを思う。

その声を、いまここに生きるわたしたちへと翻訳するみたいに、YUKI FUJISAWAの手仕事に編み直し、うつ(移/映)していく。遠くのあなたの毎日と、ここで生きるわたしの毎日が、ニットの奥の深い場所でまじりあう。そんな豊かな余白のある、複声的で、複層的な服を、つくろうとしているのではないかと、考える。

「売り文句ではない、本当の願いや祈りを込めたい。売り文句としての“お守り”という言葉と、自分のお墓を掘ってくれる人のためのミトンでは、重みが全然違いますよね。どうしたら自分が、後者のようなものづくりができるか。軽くないもの、重いものをつくります。とても重い、なにかを」

「そんなことできるかわからないですけど」と笑うゆきさんの目は、途方もなくまっすぐな光を宿していて、きっと壁にぶつかったとしても、そのなにかを粘り強く探すのだろうというふうに思われた。

誰かに愛されたヴィンテージの服に染めと箔をほどこして、また別の誰かとともに時をかけていくNEW VINTAGE。ニッターさんたちの生活や文化を尊重しながら、手編みの技術をこの先へと受け継いでいくアランセーター。YUKI FUJISAWAのこれまでの歩みは、暮らしの営みから生まれる手仕事を長い時間軸で手渡そうとしている点で、同じ流れのなかにある。

このスピードの速い日々のなかで、手仕事に居場所を与えるということは、わたしたちが大きなものの勢いに飲み込まれず、自分自身でいるために祈ることのできる余白を確保することだ。それは、わたしがわたしとして生きるための抵抗につながるのだと思う。

 

後日、こんな夢を見た。

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銀色の大きな美術館がある。

そこには、銀色の美しい池があり、その池をヴェールのようなものを使って、すーっとすべってきれいに着地した。

隣ではニットをつくっているゆきさんが、いま、誰かが期待して待っている、ニットの重さに胸を抱きしめられているの、と言う。

ニットは重たく、そして日々に差し込んでくる光のように軽やかなものでもある、と言う。

ゆきさんは、光をデザインしていた。

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ゆきさんが話していた願いや祈り、お守りのようなものを、これからどんなかたちで服にこめていくのか、その答えはまだわからない。けれど、YUKI FUJISAWAの制作を通して聴こえてくるものや、服自体にあずけられた重みが、生きる重心を光のほうに踏みとどまらせるということはわかる、と思う。その感覚を抱きしめながら、重たいニットにからだをくぐらせて道を歩いたとき、今度はなにが聴こえるだろうか。

 

Words:野村由芽

Photo&Movie:石田真澄

Movie(旅):YUKI FUJISAWA

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