東京都現代美術館POP UP✧12.21〜

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「思わぬ出来事」 アランニット制作日記(11月)

STORIES | 2019/12/17

 

 「霜降」という節気がある。古代から使われてきた「二十四節気」という暦があり、これは太陽の位置をもとに1年を24等分したものだ。「立春」や「夏至」もそのひとつで、「霜降」は秋の最後の節気にあたる。

今年の「霜降」にあたる10月24日、ある知らせが届いた。予定されていたアトリエショップが延期となり、それにともなって新作アランニットのオンライン発売日も延期となったという。理由は「商品追加の遅れ」とだけ発表されていた。

その知らせから2週間が経過した11月のある日、ゆきさんのアトリエを訪ねて、一体何があったのか、話を聞かせてもらうことにした。

「本当は、10月26日と27日にアトリエショップを開催する予定だったんです」。グラスにお茶を注ぎながら、ゆきさんが語る。

「26日は予約制で、27日はフリーオープンにして、いつでも誰でも来ていただけるようにと計画していました。アトリエショップが始まる前に、先にオーダー会で注文してくださった方の分を発送しようと思って、段ボールからニットを取り出した時にある異変に気が付いて、『え!』って、膝から崩れ落ちました」

今年のアランニットは、パープルとネイビーだ。それぞれの色に染めを施したニットに、箔を押すデザインだ。しかし、いざ出荷しようと検品してみると、ネイビーに押した箔が輝きを失っていたのだ。

化学変化を起こして、銀の輝きが透明に変わってしまった箔(手前)

「3年前もネイビーとレッドに染めたのですが、そのときも箔がなぜか数週間で変化して、全部駄目になってしまって。一緒に染めた他の色ニットは変化がなく、どうしてその2色だけなのか原因がわからなかったんですけど、今回、またもネイビーが同じ現象になってしまったんです。染工場さんやインクのメーカーさんと一緒に調べたら、染色後に使う色止め剤の中のフッ化水素という成分が化学反応を起こしたようで、箔のアルミが消失して、透明になってしまって…。」

色止め剤とは、濃い色に染めた場合、色移りを防ぐために使用する薬品だ。8月にサンプルを染めたときには、サンプルは色移りを心配する必要も少なく、色止め剤は使用されていなかった。量産に入ってからも、当初は使う予定はなかったけれども、染め上がったネイビーのニットは思ったよりも色が濃く、安全のために万全を期そうと色止め剤を施すことになったのだ。

箔と色止め剤が化学反応を起こす。それは誰にも予見できないことだった。ニットに染めを施し、そこに箔を押す過程には前例が少なく、わからないことがまだたくさんある。

「調べていくと、そもそもウール自体にも硫黄成分が含まれているんです。硫黄には金属を変色させる作用があって、例えばウールジャケットの金属ファスナーやボタンが黒ずむことがあるのも、硫黄成分が作用しているそうです。羊の個体差によって硫黄成分の強いものと弱いものがあるようなので、今年からウール素材のお手入れについて詳しく書いた紙も一緒にお客様にお渡しするようにしました」

問題が発覚したのは、アトリエショップの3日前だ。このままではお客さまがやってきてしまう――ゆきさんは急いでアトリエショップを予約してくださったお客さまに連絡を取り、延期させてもらいたい旨を伝えた。そして、9月のオーダー会でネイビーのニットを注文してくださっていたお客さまにも連絡を取り、事情を説明した。

「オーダー会には、遠路はるばるきてくださったお客さまもいらっしゃったので、まずはきちんとお伝えしないとと思って、メールや電話で連絡させていただきました。全額返金させていただくか、もう一度アトリエにお越し頂いて、他の色のニットを選んでいただけないかとお願いしたんです。ほとんどの方がもう一度選び直してくださると言ってくれて、本当に感謝の気持ちと申し訳なさで、涙涙でした」

そうして11月3日と4日に再び、アトリエでオーダー会を開催した。それと同時に、箔が透明になってしまったネイビーの代わりに、パープルのニットを追加で染めることになった。「今年の新作は50着」と発表しており、パープルが25着、ネイビーが25着となるはずだった。でも、ネイビーは25着すべてが販売できなくなってしまったので、パープルを25着追加で染めることにしたのだ。

僕がアトリエを訪れたのは、そういった作業がようやくひと段落したタイミングだった。「ようやく作業が落ち着いて、昨日は疲れ果ててずっと寝ていたので、一日半ぶりに外に出ましたよ」。アトリエでお茶を飲みながら、ゆきさんはそう言って笑った。

ゆきさんのアトリエは路面にあり、入り口は前面ガラス張りだ。今年の初めにここを借りて、カーテンレールは取り付けたものの、そこにかけるカーテンはまだ製作中だ。開放感あふれるところは気に入っているけれど、あけっぱなしでは制作に集中できず、布をかけていることが多いという。

「物件を探してたとき、最初は広さ重視でと思ってたんですけど、マンションの一室で一人っきりで作業するのは孤独で心が落ち込みそうだと思って…。なので、日当たりがよくて、天井が高くて、水が使えることを条件に探したんです。そうしたら偶然この物件を見つけて。元・お米屋さんっていう立地も面白いですしね、『路面だったら、イベントもやりやすいかも』と思って決めました」

ただ、その段階では、3月に原美術館で開催するワークショップとプレゼンテーションの準備に追われており、具体的に計画を練る余裕はなかった。そのイベントが成功を収めたことで、アトリエをお客さまにひらくアイディアも浮かんできたという。

「これまではセレクトショップや百貨店に卸すことが多くて、お客さまひとりひとりとやりとりする機会はなかったんです。お客さまと接するのは、ポップアップの店頭イベントか、あとは展示会ぐらいだったので、こうしてアトリエショップを終えて、直接お客さまとやりとりすることの責任をすごく感じてます。原美術館のときはいろんな人が関わってくれたことで、今までにない大きな発表もできたのですが、私ひとりでできる仕事量には限界があるので、一緒にブランドを作っていける人を探そうかなと。今後の課題だなと思ってます」

ゆきさんはヴィンテージを扱って作品をつくる。ヴィンテージには誰かが使っていた痕跡があり、加工を施すことでその痕跡が浮かび上がる。そうして誰かの記憶を扱っていることもあり、「人に興味があるんですね」と尋ねられることが多々あるという。

「私は人が好きっていうよりは、物に対しての面白さを感じてるんですよね」とゆきさん。「ヴィンテージの物自体に魅力を感じたことが私の原動力なので、『人に興味がある』と言ってしまうとちょっと違うんですよね。だから、マーケティングやターゲット像はあまり考えてなくて、『誰に着てほしい』とか、『こういう人じゃないと着ちゃ駄目』ってことを一切感じないんです」

ゆきさんの作品づくりは、アトリエの中でひとり、ヴィンテージと向き合う作業だ。それは、洋服を着る誰かを想像するというよりも、素材自体と向き合う時間である。でも、アトリエをひらいたことでお客さまと対面する機会を得て、これからの制作に変化がありそうだとゆきさんは語る。

「オーダー会は全部予約制でしたけど、わざわざ予約して足を運んでくださるって、奇跡みたいなことだと思うんです。それに映画や演劇はパブリックな会場だけど、誰かの個人的なアトリエに行くのは、結構勇気が要ることじゃないですか。その手続きを経てアトリエにきてくれるお客さまがいるのはすごく嬉しいなと思うし、すごく責任が伴うことでもあるよなと感じてます。もうちょっとオープンにしてもいいのかもしれないなと思うし、でも、クローズドな環境だからできる面白いこともあるし、その按配はまだ探っているところです」

ところで、箔が透明になってしまったネイビーのニットたちは、一体どうなってしまうのだろう。そんな疑問をゆきさんにぶつけてみる。

「原因を突き止めて、もう一度回復させてあげられたら再販できるかも、と探っているところです。何年か前にも同じ現象が起きたときは、原因を突き止められなくて泣く泣く処分するしかなかったんです。でも、今回は染め工場さんとインクのメーカーさんが一緒に原因を調べてくださったので、ある程度推測ができて。まずその内の1着に“特殊洗い”をして、フッ化水素を落としてもらいました。そのニットにもう一度箔を重ねてみたんですけど、これで箔が無事かどうかわかるまで1年位は様子を見ないといけないから、今すぐにはお客さまの前に出すことができないんです。もどかしいですよね」

話を聞かせてもらっていると、「夕やけこやけ」が流れてきた。まだ17時だというのに、外は真っ暗で、いよいよ冬が近づいているのだと実感する。

「小さい頃は鍵っ子だったので、学校から帰ると、お兄ちゃんと一緒にお母さんたちが帰ってくるのをずっと待ってました」。ゆきさんは幼い頃の記憶を振り返り、「待つっていうのは辛いですね」と口にした。とっぷりと日が暮れたあとも、ゆきさんはアトリエで作業を続けていた。ニットを手渡すその日を待ちながら。

 

words by 橋本倫史

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