東京都現代美術館POP UP✧12.21〜

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宝石研磨士・大城かん奈さんが生みだす光/Fragments of Quartz(後編)

STORIES | 2023/11/16

階段をのぼり、2階の工房を見せてもらう。右側の部屋には、原石が保管されている。グリーンクォーツ、ファイヤーオパール、アマゾナイト、マラカイト……。タンザニア、トルコ、と産地を思わせる土地の名前が記されたタッパーで整理されていて、自分が今いったい、いつの時代のどこの場所にいるのか、一瞬わからなくなる。注文の入ったジュエリーに必要な原石をよりぬき、隣の工房に持っていく。「原石を選ぶ」とひとことで言っても、簡単なことではないとゆきさんは言う。

「いつも驚くのが、原石のすべてをジュエリーに使えるわけじゃないんですよね。インクルージョンが入っていたりするから、使える場所を見極めて、そのほかの部分は切り落とさないといけない。どこを使うかという見極めを職人さんがされるのですが、わたしたちには見えないものを見て、かたちを生みだす姿が、魔法のようで」

「原石を選ぶのは、いつもは今澤(富士男さん)にお願いしています。今回は、アクアマリンだけは自分で選んだのですが、ほかは今澤に任せています。今澤の技術は、はやくて正確です。わたしはまだまだですね」

左側の、工房へ。扉を入って右奥には、3名の職人がファセッターで作業をしていた。左奥が、さきほどの部屋でよりぬいた原石を、ガードリングという機械で荒削りする場所。

今回のゆきさんのジュエリーは、「荒削り」の工程もかん奈さん自身が手作業でおこなったということだが、普段はおもに今澤さんの持ち場だろう。かん奈さんが作業するのは、部屋の中央部分にある4つの盤が用意された作業台だ。

それぞれの盤はレコードプレイヤーのようにくるくるとまわっている。さきほど荒削りした石に、桶に沈んでいる砂をまぶしながら、まわる盤に石をおしあて、生みだしたいかたちに少しずつ研磨していく。4つの盤で使われる砂は、段階を追うごとに目が細かくなっていく。仕上げに向かうにつれ、より繊細な研磨が可能になっていくのだそうだ。

そして4つ目の盤で、青粉や白粉という素材を使って、光らせる。光らせる、という言葉を口に出すとき、かん奈さんの声はいつもよりも深く響いた。どの工程が、もっとも自分にとってやりがいがありますか。

「やっぱり、最後にいちばん細かいカットを入れて、光らせるとき。そこまでは、宝石らしいかたちではなくて、色や反射もまだわからない状態。最後のカットを入れて光らせた瞬間、自分が今までやってたことのすべての答えあわせができるんです。ああ、 正しくできたなって。光らせるまでは、いつも心臓がバクバクしています」

Fragments of Quartzは、ふたつのパーツをはりあわせている。聞けば、先に上下を仮接着しておいて、一旦すべての研磨を終えてから、仮接着をはずして、下の部分のパーツだけクラッシュさせる。そして今度は上下のパーツを本接着させて、再び研磨の工程を経て、磨きをかけてようやく完成する。

クラッシュには、懐かしいアルコールランプが活躍するのだとか。

「実験したところ、ゆきさんのジュエリーに必要な水晶の大きさやかたちの場合、アルコールランプで15秒ほど熱するのがベストでした。やりすぎるとひびが入りすぎてしまうし、やらなすぎると寂しい。クラッシュは簡単だから、もし手持ちの水晶があったらやってみてください」

炙った水晶の頃合いを見計らって、かん奈さんが水につける。するとジュッという音とともに、見事なクラッシュが入った。一筋でも光をとらえたら、終わらない反射を繰り返しそうだ。「無傷」の美しさではないが、無数の傷に光が差し込むという美しさがある。その美しさが生まれる瞬間が、この工房には確かにあった。


無傷の光ではなく、無数の光。

かん奈さんが手磨りという技法でおこなっていることは、自然のなかに眠る石たちの、それぞれの表情を見つけ、この世でたったひとつの光らせ方を探すことなのだと思う。その姿をまのあたりにし、「きらきら」だけでは表せない無数の光り方を、今このときも、ああでもない、こうでもないと熱心に試行錯誤している人がいることを想像する。

「わたしが宝石研磨士という仕事に惹き込まれ、続けている理由は、間違いなく師匠である清水(幸雄)がやっていた手磨りに出合ったことです」

かん奈さんは揺るがずに、そう言った。人生をかけてこの仕事をしていくのだという、途方もない道を歩むことの覚悟を決めながら、どこかそれを楽しんでいる人の声の響きだった。

大学卒業後は映画の小道具の仕事に就いた。「結婚30年目の指輪」が必要になったときに、借りにいった職人が指輪に経年加工をほどこす様子を見て、かっこいい、と思った。自分は歯車のように働いているけれど、これでいいのだろうか? 自分の手で生みだせる人になりたい——そう思ったときのかん奈さんのたましいは、きっと帯電したようだったのだろう。

体調を崩したこともあり、地元・静岡に1年帰り、翌年から山梨の宝飾美術専門学校に通いだした。そこで、専門学校の講師を務めていた、のちに師匠となる清水幸雄さんと出会った。「うちに遊びにきたら?」と誘われ、「ずうずうしく遊びにいっていたんです」と笑う。たまたま山梨県の助成金で、シミズ貴石に1名だけ採用するための補助金が出たため、働かないかと誘われた。「1年限定かもしれないけれど」と師匠に言われ、今年で10年目だ。

「あれがわたしの人生のハイライトだったと思うぐらい、運がよかったんです」 

それもあるだろう。人生にはタイミングだとか、そのときの状況によって選ぶという地点に立てないこともままある。けれど、本当に“運”だけだろうか。

シミズ貴石の社員として働きはじめてからは、「傷がある」原石の端材をつかって、会社でうけおった仕事のあとに、ひとりで練習や実験を繰り返した。捨てられてしまうこの石たちの表情のほうが、面白いのではないかと信じ続けた。ジュエリー未満のルースなんて誰が見てくれるんだろうと思いながら、つくり続けた。すると、それがやがて関係者の目にとまり、「カンナカット」と呼ばれるほど、独自のカットとして認められるようになった。

「師匠は、休みの日は工房を自由に使っていいよって言ってくれました。けれど、それで何をしなさいとか、練習すればどうなるとか、そういうことは言わなかった」

「この業界には、レジェンドの方たちがたくさんいます。わたしはたまたま、研磨職人が少しフィーチャーされる時期に活動しているので、取りあげていただくこともありますが、名前をださず、有名なブランドを人知れず支え続けている方もたくさんいて。研磨職人は長く日陰の存在で、後ろに追いやられ、工賃を値切られ、いろいろなつらい思いをされてきました。いいときも悪いときもあったなかで、生き抜いてくれた先輩方がたくさんいる。本当に尊敬しています。やればやるほど、差を感じるし、毎日落ち込みます。でも、あんなふうにできるようになりたいという目標があることが、幸せなのだと思います」

かん奈さんひとりのちからだけではない。けれど、それは必ずしも、運という人の手の及ばないなにかだけのちからでもない。自分を本当に救うものはなにか、あきらめずにもがき、手をのばし続けたとき、まわりの人との出会いに恵まれ、自分を救おうとしたことのある人たちと、たましいをかわしあった、ということではないのだろうか。

かん奈さんは、幼少期を思いだす。

「子どもの頃、天パだったんです。それで、すごくからかわれて。嫌だったから、剣道部に入りました。剣道って装身具を身につけるから、髪の毛が隠れるじゃないですか(笑)。装身具は、心をたもたせてくれました。その延長線で、リングだとか、ジュエリーに興味をもって。ジュエリーは誰でも参加できる。コンプレックスを助けてくれた、恩がある。ジュエリーに、心のどこかで今でもめちゃめちゃ感謝しているんです。自分がつくるものを誰かが身につけてくれている姿を見たら、もう、ほかになにものぞまないくらい」

かん奈さんが師匠に教わった手磨りは、人の基準で決められた均一な美しさから解き放ち、その石がもつ輝きは石の数だけあると、石を切り、磨きながら信じ続ける魔法のような技術だ。それが手磨りの宝石研磨士という仕事だ。

そしてそれは、宝石研磨士と石の関係にも言えるが、かん奈さんと師匠の清水幸雄さん、そしてこの文化を脈々と守り抜いてきた、さまざまな先人たちとの関係にも言えるのではないかと思った。たったひとりの、たったひとつの石の、そこにしかない生を、それぞれの光り方を肯定しあうこと。それを、これからもつないでいくこと。

没後に発見された千数百篇の詩によって、アメリカを代表する詩人とまで言われるようになった、エミリー・ディキンソンの詩にこんな一篇がある。

 

‘I held a Jewel in my fingers ——’

I held a Jewel in my fingers ——
And went to sleep ——
The day was warm, and winds were prosy
I said “ ’Twill keep” ——

I woke ——and chid my honest fingers,
The Gem was gone ——
And now, an Amethyst remembrance
Is all I own ——

 

ゆきさんは、かん奈さんの宝石に目を細めながら、「どうしてこんなに、光るものに惹かれるんだろう?」と何度かつぶやいた。エミリー・ディキンソンは、にぎりしめたアメジストが手のうちからなくなったとき、残っているのは水晶のように硬質で透明な思い出がすべてだと詩にした。

親のドレッサーの引き出しに入った魔法のようなコンパクト。お菓子を包むオーロラ色のセロファン。星空のように瞬くコンクリートの粒子。運動場にまぎれた光る砂。昼寝してしまったことにびっくりして起きたときの、祖母のビー玉のような瞳。視覚だけではない、たくさんの人にかけてもらった言葉。忘れられない想い。

それぞれの人の胸のなかで輝く、人生で出会った光るものの思い出。光の記憶はしぶとく残り、わたしたちが生きることを助ける。ならば、いろんな光を覚えていたい。そしてその光にいのちを燃やす人がいたことを、今もいることを、忘れないでいたい。

かん奈さんが切りだし、磨きだした宝石は、人と石が、人と人が、互いの光を消さないようにして生まれた、幸福なかかわりあいの証だ。しずくのかたちのきらめきに注がれた、物語をのぞきこんでみる。これはそんな物語に連れだしてくれる、魔法の乗り物のようなジュエリーなのかもしれない。

Words:野村由芽

Photo:石田真澄

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