「陶器のボタン」 記憶を編む セーター制作日記(3)

STORIES | 2022/10/20

 雲ひとつない秋晴れの日。ゆきさんは千葉県にある工房を訪ねた。陶芸家・竹村良訓さんの工房だ。約束の時間にお邪魔すると、竹村さんはお茶を淹れて出迎えてくれた。 

「うちの工房には、毎日誰かしらいるんです」と、竹村さん。「お手伝いにきてくれるお弟子さんが何人かいたり、陶芸教室の生徒さんがきたり。打ち合わせもここだし、買い付けもここ。僕がひとりきりで制作してることはほとんどなくて、いろんな話が聞けて面白いんです。やってくる人の仕事も千差万別だし、考え方もよくよく聞くと皆違うから、面白い」

 初対面の日にも、ふたりはこんなふうにお茶を飲んでいた。きっかけは、ゆきさんが竹村さんのつくるうつわを買ったこと。よかったら今度お茶でもという話になり、ゆきさんは竹村さんの工房を訪ねた。お茶を飲みながら話していると、気づけば3時間近く経っていた。

「初対面の人とそんなに長い時間お茶することってないじゃないですか」と、ゆきさんは笑う。「オープンマインドって言葉じゃくくれないぐらい心のシャッターが全部開いてる感じがして、衝撃を受けたんです」

 普段からやわらかい布を扱っていると、硬いものに惹かれる時期がやってくる。作品と人柄に惹かれたこともあり、ゆきさんは一時期、竹村さんの陶芸教室に通っていた。そうして過ごした時間から、生まれたアイディアがある。

 2019年3月、YUKI FUJISAWAは原美術館で「“1000 memories of” 記憶のworkshop」と題したプレゼンテーションを開催した。タイトルにもあるように、テーマとなったのは「記憶」だ。

 YUKIFUJISAWAは、ヴィンテージの衣服に箔を施し、「NEW VINTAGE」と題したシリーズを制作してきた。つまり、誰かの記憶が詰まったニットに手を加えて、別の誰かに手渡してきたとも言える。原美術館で初めてプレゼンテーションを開催することになったときも、単に作品を見せるだけでなく、来場した人たちとなにか交わることができないかとゆきさんは考えた。そこで思い浮かんだのが、「記憶」を募るというアイディアだった。会場に質問箱が設置されており、そこに自分自身の記憶を書き綴ってくれた来場者には、対価として「記憶の通貨」が手渡された。この記憶の通貨というのは、陶器でできたもので、竹村さんのアトリエに通う中で生まれたアイディアだった。

 セーターをいちからつくるにあたり、ゆきさんの頭に浮かんだのは、この記憶の通貨のことだった。あのとき陶器でコインをつくったように、セーターにつけるボタンを陶器で作ることはできないだろうか?――と。

「アランセーターって、木のボタンが多いんです。メロンパンみたいな形の革張りボタンや、近年はウッドに似せたプラスチックのものも多いんですけど、どんなボタンにしようか考えていたときに、記憶の通貨のことを思い出して。あんなふうに色がいっぱいあって、カスタムオーダーをする人が好きな色を選べたらいいなと思って、あのときに近い技法で型を作ってきたんです」

 ゆきさんは鞄から型をいくつか取り出す。記憶の通貨をつくったときは、まず粘土を型抜きして、そこに型を押して模様をつけ、乾燥するのを待って素焼きをする。焼き上がったものに釉薬をかけ、本焼きすれば完成だ。ただ、記憶の通貨と異なるのは、ボタンには穴が必要となる、ということだ。

 「ボタンの穴、あんまり小さいサイズにすると、あけるの難しくなるかな?」

「小さくはできるけど、穴の間隔があんまり狭くなると、あいだにヒビが入っちゃうのが出てくると思う。あと、穴のサイズも、焼くとちょっと――」

「縮むもんね」

「縮むし、釉薬でいくらか埋まる可能性もある」

「焼き上がりを想像するのが難しいですね。穴を4ミリにするか、3ミリにするか。焼く前の感じでいうと、3ミリのほうがいい気がするんだけど、縮むと編み針が通しづらくなるかもしれなくて。縮むことを考えたら、4ミリのほうが――4ミリだと、焼いたら何ミリになると思いますか?」

「3.5ミリくらいだね」

「うーん、ちょっと大きいかも。どっちがいいのか、悩ましいですね。これでだいぶ印象変わる気がする」

 ゆきさんは鞄から糸を取り出し、型抜きをしたボタンに通してみる。一本の糸を、穴に2回通す。「うん。まだ土だけど可愛い」とゆきさんがつぶやく。

「ボタンホールが大きいと、穴が見えちゃうけど、この毛糸だとあんまり気にならないかもね」と、竹村さん。

「うん。あとは感覚によって印象が変わるかも。穴が大きくても、穴同士の間隔がこれぐらいだったら――」

「気にならないかもね。間隔が広すぎると、糸が真ん中に渡ってるから、穴の印象が強い気がする。」

 ふたりはまだ粘土のままのボタンを手に取り、糸を通してみながら、焼き上がりを想像する。陶芸というのは、これまでの経験に照らしながら未来を想像する仕事でもあるのだなと感じる。

 ボタンのデザインが固まると、いよいよ“量産”だ。ボタン作りには、“たたら”と呼ばれる成形技法が用いられる。

「陶芸と聞いてイメージするのは、ろくろで整形するやりかただと思うんですけど、“てびねり”といって歪なものをつくっていくやりかたもあるんです」。竹村さんが段取りを説明してくれる。「これも“てびねり”に属するんですけど、“たたらづくり”というつくりかたがあって。この木の板のことを“たたら”と呼ぶんですけど、木の板を組み合わせて段差を作って、粘土を伸ばしてシート状にするんですね。このシート状の粘土のことも“たたら”と呼ぶんですけど、そうしてシート状にした平面の粘土をぐるっと巻いて、平面と平面を組み合わせてカップ状のものを作ることもできるんです」

 ここから先の作業は、ゆきさんと、大学の同級生である“さおちゃん”とが一緒に進めていく。彼女は記憶の通貨を作ったときにも作業を手伝ってくれたり、アトリエでオーダー会を開催したときにも手伝ってくれたのだという。

 作業台に粘土をのせて、麺棒で縦横に引き伸ばす。均一に馴らされたところで、型抜きをする。ボタンのサイズに切り抜いた粘土に、軽く粉を叩いて、型押しをする。ここで型押しをした粘土を剥がすのが、案外難しい。力を入れて剥がせば、粘土は少し歪んでしまう。きれいに剥がれるように、ぽんぽんぽんと粘土に粉を叩いておくのだ。

「ちょっとクッキー作りみたいだね」

「クッキーなんて、中学生以来作ってないかも」

「楽しいけど、きれいに剥がすのが難しいね。どうしてもちょっと歪んじゃう」

「でも、機械でつくったようなものができるより、ちょっと歪んでるのが好きだな」

「そうだね。ぴちっとつくろうと思ってもちょっとずれちゃうから、それがいいのかもしれないね」

 陶器のボタンは、焼き上げる途中で割れてしまうものや、うまく焼き上がらなかったものも出てくる可能性がある。余裕を持って、今日の夕暮れまでに200個作る必要がある。ゆきさんとさおちゃん、それに写真を撮影していた木村和平さんも途中から加わって分業制で作業を進めていくと、あっという間に100個近いボタンが出来上がる。タイミングを見計らって、竹村さんが梨を切って運んできてくれた。梨が盛られたお皿には、どこか愛くるしさがある。聞けば、練馬区にある障害者支援施設・やすらぎの杜でつくられたお皿なのだという。やすらぎの杜では、そこで生活する人たちの芸術活動を“PoMA”(Peace Of Mind Art)と名づけ、作品を発表しているそうだ。

「PoMAの作品はね、すごくいいんですよ」。お茶を注ぎながら、竹村さんが言う。竹村さんが普段から使っているマグカップもPoMAの作品だ。「PoMAの制作者の方たちって、そんなにがつがつ作るわけじゃなくて、好きなことを好きな量だけやってるんですよね。それはすごく自由な感じがするし、ものづくりってそれでいいんだよなと思う。効率を求めたり、皆にフィットすることを考え始めちゃうと、作り手としてよくわかんなくなってきちゃうけど、自分のつくるものの理想に近いところに、この作品があるんですよね。一方で、このお皿をつくった山本さんはもう亡くなっちゃったんだけど、作品が売れるのがすごい好きだったらしくて。作品が売れたらお金が入ってきて、好きなお菓子が買えるから。それを聞いたときに、たしかにそうだなって思ったんですよね。売れたら嬉しい、って」

 美味しい梨を食べ終わったところで、ボタンづくりを再開する。少しずつ日が傾いてきて、部屋が次第に暗くなる。ただ、この工房は竹村さんのお父さんが工務店を営んでいた場所を改装したもので、もともと天井が高い造りになっている上に、ガラス戸の上にも窓があり、ひかりがたくさん射し込んでくる。

「竹村さんは、陶芸家じゃなかったら何になってました?」ゆきさんが訊ねる。

「理工学部に進もうと思っていた時期もあるから、アートじゃなくて設計士とか技術屋のほうに進んでたかも。でも、こどものときは『絵描きと玩具屋さんになりたい』って言ってたから、大体そんな仕事になってるかもね」

「たしかに、陶芸家はどっちも兼ねたお仕事ですね」

「合わせて2で割った感じかも。デザイナーじゃなかったら、何になってたと思う?」

「どうなんだろう。まったく想像がつかないです」。ゆきさんはボタンをつくりながら言葉を続ける。「でも、自分の道を選ぶのって、すごく小さなきっかけだなっていつも思います。そもそも美大に進もうと思ったのも、高校の担任が『ゆきちゃんは絵を描くのが好きだから、美大のほうがいいんじゃない?』って言ってくれたのがきっかけで。もちろんその一言がすべてじゃないんだけど、心理学の道に行くか美大に行くか迷ってたときに、先生の言葉はピンときたところがあって。その先生はきっと、私が部活のポスターを描いたりしてるのを見て――学校生活のひと場面を見てそう言ったんだろうけど、そういうことが意外と道を決めたりすると思うんですよね」

 こうしてアトリエで机を囲んでいる皆も、出身地も違えば年齢も違っているけど、ふとしたきっかけが重なって今に至っている。

「ゆきちゃんも、昔に比べると角がうまいこと丸くなって、いい感じの形になってきてるよね」。学生時代を振り返って、さおちゃんが言う。

「そうそう。あの頃に比べたら、心が穏やかになってるよね」と、ゆきさんが笑う。今のように産業化と機械化が進む前の時代――マニファクチュアの初期段階には、きっとこんなふうに雑談しながら品物がつくられていたのだろうなと想像する。作業の様子を傍目に眺めていると、粘土の中に会話の気配が練り込まれていくような心地がする。

Words 橋本倫史

Photo 木村和平

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