「もりやまていへ」 記憶を編む セーター制作日記(6)

STORIES | 2023/03/01

 3月1日。東京は春本番といった陽気に包まれていた。私鉄沿線の小さな駅で待ち合わせて、住宅街を進んでゆくと、神社の境内に梅の花が咲いているのが見えた。5分ほど歩くと、白いユニークな建物が見えてくる。建築家・西沢立衛さんが設計した「森山邸」だ。冬のあいだ構想を練ってきたYUKI FUJISAWAの新作ニットの発表は、ここ森山邸で開催されることになったのだ。

 「これまでアトリエでオーダー会を開催してきたんですけど、今回は制作日記も一緒に展示したくて、アトリエ以外の場所で発表したいと思っていたんです」。ゆきさんが言う。「どこか良い場所はないかと考えたときに、最初に浮かんだのが森山邸だったんです。アーティストの友人山本万菜ちゃんが展示をしたり、音楽家の蓮沼執太さんのアルバムのジャケットが森山邸で撮った写真だったり――少し前から、いろんな人が森山邸にいる感じが伝わってきてたんですよね。『もりやまていあいとう』って平仮名の名前を見かけて、ずっと気になってたんです」

 ゆきさんが初めて森山邸を訪れたのは、2月の初めのことだった。その時期、ゆきさんはどこか制作に行き詰まりをおぼえていた。ただ、「森山邸」を内覧させてもらって、森山さんと言葉を交わしているうちに、視界が開けていくような心地になったのだという。内覧を終えて帰途につくころにはもう、「ここでセーターのお披露目会を開催させてもらおう」と心に決めていたそうだ。

 森山さんが西沢立衛さんに設計を依頼したのは、2002年のことだった。最初のうちは賃貸として貸し出しつつ、ローンを返し終わったらひとりで暮らせるようにしたい――そんな森山さんの依頼を受けて、西沢さんはA棟からJ棟まで10個の棟で構成される「森山邸」を設計し、2005年に竣工した。以来森山さんは、いくつかの棟を賃貸として貸し出しながら、普段はA棟に暮らしている。

 「ここは“茶室”なんです」。森山さんがさっそくおうちを案内してくれる。「茶室」と呼んでいるのは、B棟の2階だ。B棟はA棟と渡り廊下で結ばれていて、1階がダイニングとして設計されている。「ここの2階は、もともと台所のストック置き場みたいな設定になっていたんですけど、もったいないので物を置かないようにしてるんです。ちょうど待庵(羽柴秀吉に呼び寄せられた千利休が、大山崎に建てたとされる茶室)とおんなじぐらいの広さだから、勝手に『茶室』と呼んでます」

 森山邸の1棟1棟はこぢんまりしたサイズなのだが、空間を移動するごとに雰囲気が変わるから、開放感がある。A棟の2階は高さが175センチとのことで、「ここで大体の身長がわかります」と森山さんは笑う。2階には書棚があるのだが、本は背表紙が見えないように、ひっくり返して書棚に並べられていた。 

「最近、背表紙がうるさく感じるようになっちゃって」。森山さんはそう教えてくれた。以前はパラフィン紙を巻いて誤魔化していたけれど、それでも背表紙がうるさく感じられるようになって、ひっくり返して並べるようになったのだという。「昔、小林秀雄が書店で自分の本を見たときに、『装丁がうるさい』と言って、全部装丁をはがしちゃったらしいんです。今はそっちの気持ちで、ひっくり返して並べてます。これだと探すのが大変なんですけど、好きなものは手に取りやすいところに置いてあるんで、大体のあたりはつくんです」

 書棚のある2階を抜け、3階に上がると大きな窓があった。森山さんが窓を開けると、心地の良い風が吹き込んでくる。同じ棟にいても、過ごす場所によって気分が変わってくる。3階からはしごにのぼって屋上に出ると、あたりの景色が一望できる。そこには柵も何もなく、開放感に溢れている。

 「私は高いところが苦手だから、この半径50センチで過ごしてますね」。ゆきさんはそう笑いながら、周囲の景色を眺めている。「アラン諸島にも、大きな崖があるんです。観光名所にもなってるんですけど、そこも匍匐前進で見に行きました」

 「アラン諸島は、風がすごいって聞きますね」と、森山さん。

 「ちっちゃい離島なんで、海風がびゅんびゅん吹いてました。冬は全然観光客がいなくて、風の音しか聴こえないから、すごく不思議な感じがしました」

 森山邸の屋上に佇んでいると、どこかから鳥の鳴き声が聴こえてくる。「ああ、ちょうど今、飛行機にひかりが当たってる」。遠くを飛んでいる飛行機を眺めながら、森山さんがつぶやく。こんなふうに屋上で過ごすようになったのは最近のことなのだと、森山さんが教えてくれた。「最初のうちは怖かったんですけど、お客さんに誘われて上がっているうちに慣れてきて、今は月に2、3回は上がってます」

 森山邸には、定期的に「お客さん」が訪れる。もともと住居として貸し出していたI棟は現在、「もりやまていあいとう」として、空間を貸し出すようになった。セーターのお披露目会は、この「もりやまていあいとう」も利用して開催されることになっている。森山さんに案内してもらって、「もりやまていあいとう」を内覧する。

「かずへりん、写真をどう展示したいかとか、ある?」

「ここに展示するんだったら、額装してぼんぼん並べるイメージはなかったんですよね」と木村和平さん。「森山さんのおうちから何かモノをお借りして、溶け込ませる方向のイメージかな。あんまり壁を使いたくない気がする」

「私もそう思う。最初に浮かんだのは、床に落ちてるイメージなんだよね」

「そうそう。壁使っちゃうと、普通のギャラリーみたいな使いかたになっちゃう気がする。それに、この壁はもう、ここに窓があることで完結してる気がするんですよね」

 ふたりが展示の方向性を話し合っていると、森山さんはカーテンを外し始めた。玄関のように使われている掃き出し窓とは別に、そこにもうひとつ掃き出し窓があって、「こっちを入り口にするってこともできるんです」と森山さんが提案してくれた。そんなふうに提案をするのは、今日が初めてのことだという。たしかに、玄関のように使っていた窓からは庭が見えるから、そちらのほうが眺めはよさそうだ。窓から見える景色を眺めながら、「あそこでティーパーティーができそうですね」と、ゆきさんが笑う。

 森山邸のI棟が「もりやまていあいとう」として貸し出されるようになったのは、2021年のこと。

 それまで住居として使用されていたI棟を「さまざまな人に使ってもらえるよう開放してみないか」と切り出したのは、森山邸が完成したときから暮らし続けている中村光恵さんだった。最初にそう提案されたとき、森山さんはあまり乗り気ではなかったそうだ。ただ、いろんな人に利用してもらっているうちに面白くなり、自宅であるA棟も「もりやまていえいとう」として貸し出すようになった。YUKI FUJISAWAのお披露目会も、「えいとう」と「あいとう」を両方借り受けて開催される予定だ。

 「私もたまに、アトリエショップを開催することはあるんです」と、ゆきさん。「自分の場所を開放すると、そこに人がやってきて、空気が入れ替わっていく――それは楽しいなと思ってはいたんですけど、自分の住居を開放するのはすごい勇気だなと思いました。扉がひらかれている感じがして、感動したんですよね」

 「それに関しては、建物の影響が大きいと思います」と、森山さん。「西沢さんの設計の段階で、ひらかれた建物になっていたんです。僕自身もその方向性を求めてましたし――だからもう、とにかく受け入れる感じですよね。えいとうに関しても、僕のモノも自由に動かしてもらっているんです。そこで僕が想像もしなかったような形で空間を活かしてもらえると、面白いんですよね。たまに展示が終わったあとでも、そのままの配置にしておくこともあるんです。動かされるのは嫌じゃなくて、動かしてもらったほうが楽しいかもしれない」

  森山さんに案内してもらっていると、ゆきさんがここで開催したいと思った理由が伝わってくるような心地がした。

「この場所が持ってる、とらえどころのない余白が好きなんです」。ゆきさんが言う。「たとえセーターを買わなかったとしても、『今日はなんか面白くて不思議な気持ちになれた一日だった』と帰り道に思ってもらえる気がしたんですよね」

 春の日に、ここでどんな展示をしようかと話し合っていると、窓から心地の良い風が吹き込んできた。お披露目会が開催されるころにはきっと、今よりずっと暖かくなっているだろう。春の陽射しの中、森山邸を訪れた人たちは、どんな時間を持ち帰るだろうかと想像する。

 

「まどのむこうに」 記憶を編む セーター制作日記(7) へつづく

Words 橋本倫史

Photo 木村和平

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