木で幸せになる人を増やしたい──過去と未来をつなぎ、見果てぬ夢の向こう側へ│カリモク家具 加藤洋「ニューオールドカリモク」

STORIES | 2025/03/28

「自分たちはなんのために木の家具をつくってるんだろう──?」

時には社員でさえも、「会社としてここまで突き抜けられるのかと驚きました」と目をまるくしながら笑みを浮かべる、カリモク家具のものづくり。時代が変わっても置き去りにしたくないのが冒頭のこの問いなのだと、創業家の3代目のひとりでもあり、カリモク家具の副社長として先進的なプロジェクトを次々に生みだしてきた加藤洋さんは言う。軽やかさと茶目っけを滲ませた洋さんは、楽しそうな雰囲気を絶やさない。

「根底にはやっぱり、もっと木の可能性を広げたいという思いがあります。人と寄り添って長く使われる木の家具のありようを、深く深く、突き詰めるべきだという考えがあるんです。もちろん、社員一人ひとりの生活があるので、売上などの数字も大切。けれど、カリモク家具としての勝ちパターンや成功の方程式のようなものにとらわれるあまり、本筋から離れてしまわないよう、社内に対しても定期的に揺さぶりをかけたいと思っているんです」


家具に少しばかりの関心があるなら、「カリモク」という名前を聞いたことがあるという人は少なくないはずだ。ある人は、戦後まもない頃に生まれた、良質で安心できる木製家具ブランドという印象を思い浮かべるかもしれない。またある人は、時代が変わっても長く愛され続けている“カリモク60”のチェアへの淡い憧れの記憶がふと蘇るかもしれない。面白いと感じるのは、カリモク家具に抱く印象が、その人の趣味趣向や、出合ったタイミングによってきっと異なるだろうと思われるところだ。

「24時間365日、カリモク家具のことが頭から離れないですね」と笑う洋さんは、確かな品質で暮らしの豊かさを支えてきたカリモク家具を、「木とつくる幸せな暮らし」にまで射程を広げながら、ライフスタイル全般に対応できるものづくりブランドとして拡張し、率いてきたひとりである。

その一歩は2009年、国内外有数のデザイナーと組む「Karimoku New Standard」からはじまった。2019年には、建築家とともに空間から家具のありようを考える「Karimoku Case」、そして2024年には、カリモク家具が培ってきた木や家具のナレッジを、異なる分野で活躍するパートナーたちと共有する拠点「KARIMOKU RESEARCH CENTER」をオープンさせる。YUKI FUJISAWAのニューオールドカリモクのプロジェクトも、ゆきさんから送られた一通のメールに洋さんが目をとめたことから動きだした。

「2022年8月に、わたしがメールで商品の問い合わせをしたんですよね」

「うちの家具をちょっとスペシャルなエディションにできないだろうか? っていうお問い合わせだったんですよ。壊れたところを直してほしいとか、ちょっと高さを変えたいというお話をいただくことはありますが、色なども含めて変えてもらえないかという相談は、はじめてで。どういう人なんだろう? とネットで調べたら、“家具やものづくりってこうあるべきなんじゃないか”と僕が思っていたことに近いことを、アランセーターなどのものづくりで表現している人だった。すごく共感して、YUKI FUJISAWAの展示会に行ってセーターも買ったんですけど」

ものづくりを一緒にやりましょうというお誘いや、ましてや、仕事をお願いしますという依頼からはじまった出会いではなかった。「こういうことを言ってきてくれる人って、すごく強い想いをもってくれているわけじゃないですか」と目を細めながら言う洋さんの言葉が耳に残る。自分たちがつくったものに、心から反応してくれる人がいる。それはつくり手にとって、いつだって羽がはえそうなぐらいうれしいことだ。

「やりとりを重ねるうちに、だんだん藤澤さんのことがわかってきて。当時、藤澤さんだったらまったく違う目線で価値を見出してくれるかもしれないと思ったのが、虫食いのナラ材でした。今、虫食いの被害が日本の森林、ひいては、その森林を支える基盤としての林業を脅かしているんですね。僕も含めて、虫が食べた木というのはなかなか商品としては使えないと思い込んでいましたが、藤澤さんに見せたら、目をきらきらさせて、虫食いのナラを使っていろいろと遊んでくれたんですよ。金継ぎのように穴の部分を埋めたりして。その様子を見て改めて、藤澤さんのアイデアを取り入れたものづくりをぜひしていきたいと思って」

とはいえ、新しい家具をデザインするという取り組みは、なんだか今回は違うのではないか。その思いが、時間を重ね、互いのことが少しずつわかってきた両者には同時に芽生えていたのだそう。そんなとき、「カリモク家具の中古の家具を集め、現代の作家たちの手で新たな命を吹き込むのはどうか?」という提案がゆきさんからおこなわれ、「むちゃむちゃうれしかった」と洋さんは言う。

「カリモク家具では、日頃からメンテナンスやリペアのビジネスをやっています。そこでは“いかに新品の状態に近づけるか”という直し方が主流になっているのですが、会社としても無料で請け負うことは難しく、場合によっては、修理代にいくらか追加すれば新品が買えるぐらいの値段になってしまうこともあります。そんななかで、“新品同様に戻す”ということが果たして本当にいいことなのだろうかと思うこともあって。“使ってきた時間の積み重ね”という要素を残しながら、唯一無二なものとして提供できる方法がないだろうか? と、実はずーっと、思っていたんです」

2024年9月に、ニューオールドカリモクに関わる作家たちとともに、刈谷市にあるカリモク家具の工場をわたしも訪れた。その際、修理をおこなうエリアには、ある種の独特な魅力が漂っていた。教会で使われていたというベンチは、意匠を残して直すか、新しくつくり直すか検討中であるとひとりの職人さんが話してくれた。破れた箇所をふさぐため、持ち主がお花のアップリケをあてがって大切に使い続けてきたと思しき痕跡が愛らしいチェアが、修理を待っていた。持ち主たちの記憶の湯気が、もうもうと立ちのぼっているようで、惹きつけられた。

理由があって、持ち主が望むなら、ぴかぴかに元通りに直すのはもちろん悪いことではない。けれどこの家具に刻まれた木と人間の記憶が、もう少し目に見えるかたちで保存されたまま、長い時間軸をこえていけるなら。そのパラレルワールドの未来もとても素敵だ。わたしたちは等しく、過去になる。自分を含めたあらゆる過去を、「あの頃、確かに存在したもの」として、いつか誰かがふと思いだしてくれることがあれば、未来と混じり合うことがあれば、そのとき自分がこの世にいなくても、なんとなくうれしいなとわたしは思うのだ。

人の過ごしてきた痕跡が木に宿る、ニューオールドカリモクの取り組み。そのコンセプトに共鳴する洋さんは、木も人も、大事にしたい人でもあるのだろう。工場で働いていた、職人さんたちの姿が脳裏に浮かぶ。木材にやすりをかける人、磨きをかける人、皮を切る人、組み立てられたソファを点検する人……。機械やテクノロジーもふんだんに取り入れられた広々とした工場で、各々の持ち場でいきいきと働く人たちの姿が印象的で、その様子を一緒に眺めていた作家のひとりも驚いていたほどだった。

「カリモク家具は“ハイテク&ハイタッチ”を掲げています。テクノロジーやマシンも積極的に使うけれど、それは人じゃないとできないことに集中できるようにするため。人をリプレイスするためにテクノロジーを使っているわけではないんです。機械化や自動化が進んでいっても、やっぱり暮らしの家具、しかも木を使ったものづくりなので、人の手がかかるところが多いんです。社員の人たちの心持ちひとつでできあがるものも変わってくるから、なるべくコミュニケーションをとって向き合うようにしているんですけどね。最近は、僕が用もなく工場をうろうろしているときはちょっと悩んでいるときだということが知られてきて、“なにかあったんですか”“こんなのつくりましたよ”みたいに声をかけてくれることもあります」

木を使った、人によるものづくり。そこには命あるもの同士の付き合いがあり、木がカリモク家具にとって、材料以上の意味をもつことを指している。

「木という素材は森からでてきますよね。僕も木が好きなので、しょっちゅう伐採の現場に行くんです。現場で木が切られる様子や、鳥の巣がかかっていたことだとか、そんな光景を見ると罪深さも感じます。自然が育んできたものを使わせてもらっているという感覚になるんです。なので、工業製品をつくるためのマテリアルとしての木ということではなくて、古臭いんだけれども、ありがたく使わせてもらっているという感謝の気持ちを持ち合わせていないとだめだろうなというのが根底にありますね。育つのに100年間かかった木を家具として使うのであれば、家具としてもまた100年間、新たな命を吹き込まれて人に愛されるようなものをつくりたいなと思っています」

人間が少しばかり手を入れることで、過去から未来へと時間が縫い合わされ、また新たに記憶が重なってゆく。これは、ニューオールドカリモクプロジェクトにおいて、YUKI FUISAWAとカリモク家具が見たいと願っている姿でもある。

過去や未来というものに対して、カリモク家具は、どのように捉えているのだろうか。ふと注意深く耳を澄ませてみれば、創業者である加藤正平氏を祖父にもち、木と人間の幸せな関わり合いを探究する記憶を継承してきた洋さんの話には、過去や未来という言葉が自然と織り混ざっているのだった。

「カリモク家具はもちろん企業ではありますが、僕という個人にとっては、家業でもある。祖父が立ち上げたときの思いのようなものがやはりあるわけなんですね。設立当時は、第二次世界大戦直後だったので、日本が焼け野原からの再出発という時代でした。末っ子だった祖父は本来戦争に行くはずでしたが、兵役検査で腎臓に障害が見つかり、戦地に赴きませんでした。詳しく話してくれたわけではないのですが、そばでいつも感じていたのは、生き残った者の責務のようなもの。人の暮らしや人生のようなものを、自分ができることでどうやって豊かなものにつなげていくかっていう、すごく強い、熱いものがあったのではないかということでした」

カリモク家具が、約2000人の従業員を抱えた企業でありながら、私的な人の温度を感じるのは、創業者の夢が、木を使って、とことん人に寄り添おうと命を燃やしたものであるからなのだろう。「成功して自分が大金持ちになってやるっていうよりも、社会をどう良くしていくか」という願いが、約85年の時を経ても、大切に受け継がれていることに背筋が伸びる。

祖父である加藤正平氏のたった一度の頼み事だったという「木を勉強してほしい」という言葉で、洋さんは京都大学の農学部に進学。木材を勉強した後は、アメリカのジョージワシントン大学に通い、MBAを取得した。子どもの頃の夢は、獣医だった。木に関わる前から、生き物を愛していた人だからかもしれない。当時の経営理論には首を捻ることも多かったという。

「1990年頃の経営的な考え方の主流は、“会社はなんのためにあるのか”という質問への答えが、“会社は株主のためにある”とか、“株主の利益を最大化することが、会社経営のマネジメントチームの唯一で最大のタスクである”といった理論に基づいて展開されていました。ひとつの事実として受け入れながらも、本当にそうなのかな……? それがすべてではないんじゃないか……? と悶々としていましたね。自分たちが扱うものが、暮らしの道具としての木製家具だったことも大きかったと思います。このジャンルは、そんなふうに切った張ったで、物事を片付けていいものではないと感じていたんですね」

今でも、経済新聞に必ず目を通し、読むのはもっぱら経営にまつわる本だ。偏りがありますね、と笑いながら教えてくれた。経営の王道を学びながら、どこか馴染めないという思いを抱き続け、「未来は過去の数字ではなく、今の小さな挑戦に宿る」という自らの考えのもと、現場で実践を繰り返してきた。

「Karimoku New StandardもKarimoku Caseも、はじめの頃は鳴かず飛ばずという感じで……(笑)。でも、Karimoku New Standardをミラノサローネにはじめてもって行って、小さな街のギャラリーで展示したときに、今まで接点がなかったような人たちが来てくれて。最初のお世辞の言葉をそのまま受け取るのではなく、じっと観察していると、目がパーッと輝いてきたり、愛でるように触ってくれたりして。結果が出るまで7〜8年かかりましたが、それを見たときに、ああこれは、時間がかかるけど多分いけるんだろうなと思いました」

目の奥がちかっと輝くこと。生き物を愛でるように、家具を撫でる手があたたかいこと。その、バイタルサインのほうを重視する。今を生きている証である、人間のサインの点滅を見逃さないようにする。そういうことこそ、大切なんじゃないだろうかと、話を聞きながら心底思った。洋さんは多忙の合間を縫って、伝聞では受け取れない生身の反応をダイレクトに体感したくて、なるべく現場にからだを運び、コミュニケーションを取るようにしているという。

「よくありがちなマーケティングの手法にならって調査をきっちりしつつ、市場の売れ行きを横睨みしながら製品をつくるのは、売れるかもしれないけれど、楽しくないんですよね。社員のやりがいや、この会社に勤めていて誇らしいといったプライドにもつながりにくいと感じます。とはいえ、民間の事業体だから、赤字になったからといって誰かが補填してくれるわけではありません。だから、チャレンジの結果がでるまで耐えられる生産体制や仕組みを整えておくというバランスが大事。そこを整えたうえで、自分たちがつくりたいものや、つくるべきもののアイデアを柔軟に実践しながら、これからの仲間づくりにもつながるプラットフォームとしてのカリモク家具をつくりたいですね」

暮らしを支えるための木製家具を安定供給できるよう、仕組みは整える。ものづくりの効率化もはかる。けれど、“規格”という型に、人間や木を押し込めない。あくまでも、それぞれに個性的な人と木が、できるだけ幸せに共生していける世界を広げていくことが、カリモク家具のめざしたい姿だ。

「天然の木を使っているので、全然言うこと聞いてくれないんですよ。こんなところで反っちゃって、とか、こんなところで割れちゃって、とか。でも木そのものに問題があるわけじゃなくて、“マーケット的に価値がない”と判断して、その木を扱えないと思う、僕ら人間側が未熟なわけです。それに、人間が使いづらい木が生態系のなかでも役に立たないかと言ったら、まったくそうではない。いろんな個性がある木が、強固な生態系を構築しているんです。

人間の社会も同じですよね。カリモク家具の社員は、“多能工”という言い方をしているのですが、マルチタスクで働いている人が多いです。けれどなかには、ひとつのことに集中するのが得意な人もいますよね。カリモク家具は創業の地である刈谷市でずっとやらせてもらっているので、地域のさまざまな人々の役に立ちたいという思いがあります。たとえばコミュニケーションがあまり得意ではない人や、一旦社会から離れて復帰の最中にある人などが働ける作業という観点から、カリモク家具では、ペーパーコード編みという椅子づくりがはじまりました。

このニューオールドカリモクもシリーズ化していって、たとえばこのリスちゃんの(うまのはなむけさんが彫ったリス)を最後に磨いて仕上げていくような細かな作業を、そういった人たちと一緒におこなうこともできるかもしれない。いろんな人たちがいろんな特技をいかしながら、ものづくりで活躍できる場をつくりたいと思っています」

少し前の時代は、今よりも人と木の距離が近く、木の特徴を踏まえたうえで、暮らしに活用していた。たとえば、“この木の皮はとても強いから、屋根に葺いて使おう”というふうに、使いづらいからと切り捨てたり無視したりせず、良いところを探し、取り入れてきた生活の歴史がある。洋さんは、そうすることは木のためだけではなく、自分たちの暮らしも良くなるし、自然との共生にもつながると話す。

自然との共生というテーマでカリモク家具がここ10年以上、積極的に取り組んできた課題は、森林との共存だ。日本は森林率は約67%と、世界有数の森林大国ではあるものの、木材自給率は40%程度。一度手を入れた森は、伐採を含めた適切な管理をおこなわなければ、土地の荒廃につながってしまうという。そこで、国産材の活用を積極的に進めるべく、短尺材や端材を接着するフィンガージョイントや、針葉樹の活用、個性の多い木材の表面に薄い木材を貼る手法など、素材本来のポテンシャルを引き出す独自の工夫や開発を進めてきた。

「今の時代は、とっても便利でいい世の中になったようでいて、殺伐としているところもあるというか。効率ばかりを追求して、社会や自然界に負荷をかけるやり方は、もう明らかであるように、長続きするものじゃない。すでにいくつもシリアスな問題がでてきているけれど、20年、いや、10年、5年後にはもっと取り返しのつかないことになってくると思います。僕らがめざしている、自然界とのバランスや調和を考えたものづくりの工夫が、どれぐらいインパクトがあるかはわかりません。ただ、こういう小さなことの積み上げが、のちのち振り返ってみて、大きく捉えたときに、不可欠なはずだと思いながらやっています」


ときにシリアスな話題に触れるときにも、どこか夢の手綱をしっかりと握りしめているような様子で、話を続ける姿が心に残る。夢を叶えるには、「これには価値があるはずだ」と信じられる直感と、そこに向かっていく己の歩みを支える地盤づくりの両方が必要なのだろう。さもなければ、夢を見続けることや、信じ続けることは難しい。はじめに洋さんが話してくれていた、「もっと木の可能性を広げたい」という思い。その思いは、夢と言い換えて良いのではないかと感じる。木とともに見てみたい夢がたくさんあるのではないか。カリモク家具は、いくつもの大きな夢を、木が叶えられると信じ続けている。

「木を扱っているということは、カリモク家具にとっていろんな面で、本当に大きいと思います。身の回りにある家具や、家のしつらえというのは、その人の人生に大きく影響することですよね。人の幸せに直結している仕事であるゆえに、責任重大だとも思っています。家具を使う人をどう幸せにしていくかということはもちろんですが、社員や外部のパートナーの人たちも含めて、それをつくる人、準備する人たちが、そのプロセスに関われることが幸せだと思ってもらえるような状況をつくりたいというのが夢なんです。でもまあ、無理だなって」

無理だなと笑いながらもにこにこしている。見果てぬ夢を語る人は、どうしてこうも、うれしそうなんだろう。

「自分が理想で考えている姿にはおそらく果てはないので、ちょっと辿り着けそうにないなと思っています。でも、辿り着こうともがくことはやめないみたいな、そんな心境ですかね」

失ったものの多さを前に、人々の暮らしを立て直したいと願ったたったひとりが立ち上げた木工所。その小さな場所から、カリモク家具の営みははじまった。人の暮らしを豊かにする木のものづくりは、つくる人、届ける人、受け取る人……その無数の人々のあいだで思いが手渡されていき、今あらゆるかたちで幸せの枝葉を伸ばしている。

過去に家具と生きた人の記憶に再び光を当て、新たな時を重ねていくニューオールドカリモクも、その枝葉の一枚だ。環境も社会も問題が山積みで、未来を変えることなど、自分ひとりにはできないのではないか、こんなちっぽけな力ではなにも変わらないのではないかと思わされてしまう時代でもあると感じる。けれど、なにかを変える力があるのはやっぱり、“今”を生きるわたしたちでしかないのだとも思う。目の輝き、手のぬくもり、流れる汗、高鳴る鼓動。そんな生身のからだだからこそ発される小さなサインが、大きな夢のはじまりに接続する瞬間を、カリモク家具に流れた時間を通じて、少しだけお裾分けしてもらった気がする。未来を良くしていくことも、過去を良くしていくことも、今を生きるわたしの心とからだが反応したそのときからはじまる。小さなチャレンジの一歩が、いつかの大きな夢を動かす。木と人がつくる幸せな暮らし。わたしがつくる、あなたがつくるその暮らしは、どんなかたちをしていて、どんな触り心地だろうか。


Words:野村由芽

Photo:濱田英明(ポラロイド以外)

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