東京都現代美術館POP UP✧12.21〜

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「ヴィンテージと染工場との出会い」 アランニット制作日記(8月)

STORIES | 2019/09/10

 

7月はあんなに曇りが続いたのに、8月の東京は猛暑となり、空は嘘みたいに晴れ渡っていた。晴れていても曇っていても、そこにある風景は同じであるはずなのに、陽が射すかどうかで印象は変わる。すべては光の加減で決まっている。

「私はもともと色に興味があったんです」。サンプルとして染めた端切れを手に、ゆきさんが教えてくれた。色というのも、光の加減によるものだ。

「学生の頃、かわいい形のペンを使ってみると、つまんない勉強もちょっと楽しく思えたんです。そういう原体験があったから、自分が作ったもので誰かを少しでも楽しい気持ちにさせたくて、最初は雑貨のデザイナーになりたいと思っていたんです。そこから大学で布を勉強するうちに、衣服にも興味が湧いたんですよね」

ゆきさんは多摩美術大学生産デザイン学科に進んで、テキスタイルを専攻した。そこで学べることは、「織り」と「染め」と「プリント」に大きく分かれていた。

「美大の受験って、筆記の他に絵を描く試験があるんですけど、私は柄を描くより色味のほうにすごく興味があったんです。プリントを専門にしようとすると、どうしても絵柄を描かなきゃいけないし、織物は糸が絡まり過ぎちゃって、『もうイヤ!』ってなっちゃって。その中で自分に合っていると思えたのが染めで、私にとってはそれが一番自由な表現に思えたんです」

美大を受験するずっと前から、ゆきさんは染めに興味を抱いていた。家庭科の授業で、板締め絞りを体験する機会があった。板締め絞りとは伝統的な絞り染めの技法で、素材を板で強く挟んで、染料がしみ込まないようにして、板の形に模様を作る技法だ。その模様はプリントとは異なり、どこかもやんとしていて、子供ながらに「面白い!」と思った記憶があるという。

「学生の頃は服の形に興味がなくて、染めることで素材自体が変わっていくことが面白かったんです。真っ白な布を染めると、急に鮮やかな色に変わって、魔法みたいだなと思ったんですよね。そうやってものが変わっていく様子が面白くて、大学生の頃は何でもかんでも染めてました」

最初のうちは買ってきた糸や布を染めていた。オーガンジーの生地を染め、キルティングの布を染め、革を染めて――そうして様々な素材を染めているうちに、ふと思い立って、ヴィンテージの古着を染めてみた。染めあがった洋服には、これまでと違う感触があった。

「糸や布を染めるのも面白かったんですけど、それは素材だから、漠然としている感じがあったんです」とゆきさんは振り返る。「服として成立しているものだと、自分の生活にも近い感覚があって、イメージが追いつく気がしたんです。それに、自分が仕立てた洋服じゃなくて、誰かが着ていた古着に対してアプローチするのも面白くて、それでどんどんヴィンテージを染めることに傾倒していったんですよね」

学生時代は大学のラボで、卒業後は西立川にある産業技術研究センターで布を染めた。そこは中小企業によるものづくりを支援する施設で、ニットの機械や布を染めるためのコンロ、大きな乾燥室まで完備されていた。ニットを車いっぱいに積んで西立川まで出かけていたけれど、2014年からは染工場に依頼するようになる。

「染めるのって、すごく大変な作業なんです」とゆきさん。「染めって言うと皆、色水に浸すところを思い浮かべると思うんですけど、他にも工程がたくさんあるんです。染める前にほつれているところを縫って、精錬という先洗いをして、ようやく染め、また洗って乾かして――それを何十着とやり続けるのは体力的に無理だと思って、工場さんにお願いすることにしたんです」

当時はまだ大学を卒業して間もなく、縁のある工場もなかった。インターネットで検索して、ヒットした工場にひたすらアプローチをかけた。「まだビジネスマナーもわかってないから、たぶんめちゃくちゃなメールを送ってしまっていたと思います」とゆきさんは振り返る。ほとんどの工場からは返信がなかったけれど、唯一返信をくれたのが内田染工場だった。

 

ゆきさんと一緒に、内田染工場を訪ねる。普段はメールと電話でやりとりをするので、工場を訪れるのは今日で3度目だという。

うちはもともと桐生で呉服屋をやっていたんです」。内田染工場の社長を務める内田光治さんはそう教えてくれた。内田家は代々呉服屋を営んできたけれど、内田作次さんは呉服屋を兄に任せて上京し、染色の技術を学んだ。そうして東京の山手・小石川に内田染工場を創業したのが明治42年――今から110年前のことだ。

昭和10年(1935年) 内田染工場 上棟式

「今はこっちが表通りになってますけど、昔は植物園に面したほうが表通りになっていて、川が流れていたんです。私が生まれた頃にはもう違ってましたけど、当時は川に沿って染工場がいくつかあったそうです。元が呉服屋だったこともあって、最初は呉服関係の糸染めをやっていたんですけど、戦争で桐生に疎開して、靴下製造業を始めたんです。疎開しているあいだにここは焼けてしまって、戦後に釜一つからやり直したんです」

昭和30年(1955年) 内田染工場の2代目と奥さま 工場前にて

内田光治さんは三代目にあたり、幼い頃から靴下の中に埋もれるように暮らしていた。小さい頃から家業を手伝うのは当たり前で、大学生の頃も休日は工場で働いていたのだという。

「その当時は父と母、それに職人がふたりぐらいしかいなかったので、自分が入らなければ終わってしまうというところもあったから、継ぐことに対する抵抗感はなかったですね。今は私も含めて25名いるんですけど、最大で44名いた時期もあるんです。その頃は60代、70代の職人がいて、『見て覚えろ』みたいな感じで良い師弟関係があったんですよね。それが今、代替わりしている感じです」

2013年にアポイントを取ってからというもの、ゆきさんはずっと内田染工場でニットやトートバッグを染めてもらっている。「工場の皆さんも良い人ばかりですし、若い職人さんも多いんです」とゆきさんは言う。繊維産業は高齢化が進んでいて、後継者不足によって閉鎖を余儀無くされる工場も少なくないけれど、内田染工場には若い従業員もいる。

「職人は40代が比較的多いんですけど、洋服が好きだから、見た目は若々しいんですよね」と内田さんは笑う。「その世代の職人たち――上の世代から『見て覚えろ』と言われていた職人たち――が、自分たちが覚えてきた技術を次の世代に受け継ぎたいという欲望が出てきたこともあって、20代の人を入れたいなと思って募集をかけたんです。そこに何人か応募があって、この秋から新たに3人採用することになるので、ちょっと若返ることになると思います」

 

YUKI FUJISAWAのNEW VINTAGEは、ヴィンテージ素材に染めや箔を施すことで、新しい価値を生み出したものだ。古くから伝わるものに、別の角度から光を当てることで、新しい価値を生み出す――その姿勢は、内田染工場にも共通している。

「染めやプリントって、ある程度はテクニックが決まっているところもあるんです」とゆきさんは言う。「でも、内田染工場は若い職人さんも多くて、内田さんも新しいことに挑戦されていて。4年前に川上未映子さんの小説『あこがれ』をイメージしたニットを作ったときも、ここでサンプルを見せてもらって、『こういうグラデーションで染めてみたいです』とお願いしたんです。数年前からやってもらっているオパール染というテクニックも、ここにあるサンプルを見せてもらって『これをニットでやったら面白そう』と思いついたんです」

染めの色を指定するとき、カラーチャートで依頼することが多いけれど、紙に印刷される色味と布を染めた色味は微妙に異なる。より細やかにニュアンスを伝えるために、布の素材を送ることもあれば、色のついた石を送ったこともあるという。

「石を送ったときはちょっとびっくりさせてしまった気がするんですけど、ただ紫の紙を送るより、微妙にムラ感のある紫の石を送ったほうが、こんなふうにしたいって伝わるんじゃないかなって思っちゃうんです」とゆきさん。

「そういうニュアンスのことをわかりたいっていう気持ちは、自分の中に結構あるんですよね」と内田さん。「ゆきさんの発想がすごくユニークだから、刺激的だし楽しいし、新しいことが生まれそうな感じがするんです。うちの過去のサンプルを見せたときにも、『こういうふうに使えば面白いものになるんじゃないか』ってひらめく感性が研ぎ澄まされてるから、こっちも真剣になるし、特別な存在です」

「指示書に書かれていることを実現するのは当たり前なんですけど、それ以上を出したいなっていう欲望もあるんです」と内田さんは語る。

「お客さんに出来上がったものを届けたときに驚いてくれたら嬉しいなと思うんですけど、そんなふうに欲張って希望以下になってしまうこともあり得ますから、そこが難しいところですね。でも、長くお付き合いしていると『こういうことを望んでいるんじゃないか』とわかるようになってくるので、より気に入ってもらえるように、半分楽しみながら仕事をしているところもありますね」

内田染工場にはコンピュータ・カラーマッチング・マシンが導入されており、送られてきた色見本を機械が分析し、染料の配合を決める。ただ、機械に任せきるのではなく、何が求められているのかを探りながら、より希望に近づけるようにと日々考えを巡らせている。

「それはすごく嬉しいです」とゆきさんは語る。「ヴィンテージを扱っていると、白のニットと言っても、一個ずつ白の色合いが微妙に違うんです。そうすると、同じ染めをしても染まり具合が微妙に違うから、どれが正解ということはないなっていつも思うんです。そこが一番面白いなと思うところですね。自分で染めるんじゃなくて、工場の皆さんに染めてもらうと、自分が予期しなかった仕上がりにたどり着くことがあって、それが楽しみなんです。だから、早く届かないかなって、いつもワクワクしてます」

帰り際、ゆきさんは内田さんに手土産を渡していた。「熱中症予防に、皆さんで飲んでください」、そういって差し出されたのはトマトジュースだった。染工場の中は、釜から立ち上る湯気でかなりの蒸し暑さだ。残暑の残る東京の真ん中で、来るべき冬に向けて、ニットが染められてゆく。

 

words by 橋本倫史

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